無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ぎこちなさにニヤニヤがとまらない

ヒカルがテレビ番組に出る度にああいう空気になる。淀んでるのでもとごってるでもない空気が滑らかに流れない。出演者もスタッフも、しかし、その空気が嫌な訳じゃない。あれいつ見てもニヤニヤしちゃうね。

なんでああなるかというと、ヒカルに似た人が居ないからだ。番組を回すパーソナリティ・司会者の皆さんにはセオリーやパターンというものがある。二枚目系の女優さんならこう、コミックバンドのヴォーカルならこう、みたいなレシピを山のように携えていて、その上で本番ではアドリブを交えながら臨機応変に対応を変えていく。マツコ・デラックスという人は、そのレシピのスペクトルが異様に広い。「マツコの知らない世界」もそれを活かしているのだろう、有名人が来ようが文化人が来ようがド素人が来ようがちゃんと番組を成立させる。神業っすな。

だがそんな人でも宇多田ヒカルは持て余すのだ。“こういう人”が他に居ないからである。今までの人生経験が通用しない。特にマツコ・デラックスはヒカルと初共演だったろうから手探り大変だったろうね。

バイリンガルだから帰国子女だからシンガーソングライターだからといった定型的思考は全く当てはまらない。宇多田ヒカルに相対するには宇多田ヒカル本人に慣れる以外無いのだ。慣れてくればまぁなんとかなるっちゃあなる。歌番組も何度も出演したものはこなれたり馴染んだりしていた。

あのあやふやな空気を醸成するのにもうひとつ、「リスペクトが強い」というのも響いている。芸事に携わる者なら宇多田ヒカルの偉大さは痛い程よくわかっている。ぶっちゃけ巨匠然として偉そぶっててくれた方が恭しく敬い易いところなのだが勿論ヒカルはそれをさせる気が無いので全体的に遠慮がちな空気になっていく。

これも慣れれば違う。タモリも最初に会った頃はミュージシャンとしてのリスペクトがほんの僅か前に出ていたが、途中からは慣れてきて「その表情になるのは吉永小百合と会ってる時だけ」というデレデレの緩んた顔で相手するようになった。正解ですわね一義さん。

マツコもそのうちデレデレになればいいと気づいてくれたらなんだけどあのキャラだと難しいのかなー。井上陽水なんか最初っから「イタリアンの味が分からないくらい緊張した」と奉る方向で来ていて今回(の年末の特集で)も「歌う人が違うと云々」とお手上げ降参状態で皮肉っぽく絶賛していた。流石に同業者だと勘が鋭い。陽水がこんな状態になるのは生きてる人だとあとはポール・マッカートニーくらいだろうな。

こほん。要は、今回の出演は「お初の取り合わせ」だったので、久々にあの「ぎこちない感じ」が楽しめて笑えたという話。松本人志が初対面で「おかきとかも食うんや」とポツンと言ってその距離感のわからなさを絶妙に表現していたがあれからもう20年以上経った今現在でも似たような空気を味わえるとは恐悦至極。若いファンもああやってバラエティーに出るヒカルを新鮮に眺めてくれたかな。

また次のテレビ出演ではお初の人と絡んでみて欲しいものだ。たまには「宇多田?誰それ?」みたいに振舞ってくれる人とかとも見てみたい。まーいちばん面白いと思うのは紀子さんちの佳子ちゃんとなんだがそりゃ無理か。絶対跳ねると思うんだけどねぇ。