無意識日記々

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香水と組細工

でもまぁやっぱり白眉はこれだよね。

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もしかしたら あの

作詞家としてはいろんなタイプがもちろんいますけど

私自身と近い方向のグループ分けできるような

タイプなんじゃないかなと

これを作りたいとか こういうものを作りたいとか

こういうものを見せたい

っていうタイプとはちょっと違って

メッセージとかが軸にあるというよりは

言葉の あの~言葉とか言葉の配置?が

人に与える印象とか効果みたいなものを

よく把握してらっしゃって

なんか組細工みたいに

こう 建築物をこう ドーンっていうタイプではなくて

どっちかっていうとこう香水を作るみたいな なんかこう

濃度とか 何かを調合して 濃度をコントロールしながら

初めて嗅ぐ人がいて完成するみたいな

そういうタイプの作品に感じたんです

私もそっち系だと思ったんで

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あんな短時間でこうも濃密なコメントが出来るかね。感心通り越して呆れるわ。

作詞家の分類については、既述の通り今まで私にはその発想自体が無かった。ヒカルにしたらどうだったのだろうか。井上陽水という人が目の前に居たから自分の作詞術を客観的に見る機会を得た、という考え方もできる。

プロデューサーとして自身を客観的にみる視点と視線は必要だ。「マツコの知らない世界」でも自分がバラエティー番組に出演した時の浮きようについて触れていたけど、外からみてどうなのかというのはみられるきかれる仕事をしている以上避けて通れない。

要点は、ヒカルと似たタイプが存在したことそのものだ。井上陽水。日本初のミリオンセラーアルバムを創った人。彼のような後世に伝説的と言われるような人と更に伝説的な宇多田ヒカルを同じカテゴリーの作詞家だと言えてしまうのは、何が非常に合点のいく話かもしれない。常々ヒカルは同じくアルバム合計37週連続1位という伝説そのものの母・藤圭子と歌手として比較され続ける運命にあるが、一方で裏方として、クリエイターとして比較される(できる)対象として井上陽水が“居た”訳だ。

具体的にみていこう。組細工/建築物と香水という対比。ピラミッドのように、作った人達が滅んでも依然としてそこにどんと存在するような、人から独立して組み上がっているような歌詞。俄には想像しづらいが、例えば最初期のヒカルにはその気風が幾らかある。『Never Let Go』や『In My Room』などがそうだが、言葉をブロックに見立てて、同相の位置に相似と相違を組み合わせて配置していく。要は1番と2番と3番で似たようなでも少し違う言い回しを扱うようなスタイル。音韻と構成を重視するヤツだね。

一方香水というのは、言葉のニュアンスそのものに注目する。例えば、『道』の『調子に乗ってた時期もあると思います』なんていうのは、リスナーの心の準備との駆け引きだ。こういう機微の差異を微妙についてくるところが……いやこの話はもっと突っ込んでした方がいいかもな。次回に続くと致しましょうか。