無意識日記々

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日本で英語曲を歌う可能性

ライブコンサートとしてのクォリティは『WILD LIFE』や『Laughter In The Dark Tour 2018』の方が上だろうが、『In The Flesh 2010』にはそれらには希薄な自由や解放感が漲っていた。ヒカルが何をしてもよかったから。

選曲に制限は無かったし、MCも日本語英語両方だ。各地比率は違えどそれなりに日本から行ったオーディエンスも居たからね。自分もそのうちの一人だったのだけれど。観客の方も、老若男女肌の色人種差別問わず多様だった、という話も飽きる程してきたなー。飽きてないけど。

だから海外でライブを観た方がいい、と言いたい訳でも、ない。そこはもう単にヒカルさんのスタンス次第なのですよと。『In The Flesh 2010』はUtadaとしてのコンサートツアーの筈だった。2005年2月23日のNYショウケースギグもUtadaの曲だけだったしそれで当たり前だったのだ。そこをヒカルが、恐らく、米英のファンの中にはUtadaのみならず宇多田ヒカルにも造形が深い人達がかなりの数居ると踏んだのだろう、英断を下した訳だ。

見方や出資比率にもよるが、ツアーというのはニューアルバムのプロモーションを兼ねている場合もある。レコード会社としては、コンサートによって更にレコード(CDやらダウンロードやら)の売上が伸びる事を期待している。そこで余計な曲(*当時EMIから発売されていた宇多田ヒカル名義の楽曲のこと)を歌われても何の得にもならない。寧ろお財布を奪われるかもしれないだけマイナスである。なのにまぁOKを出してくれてありがとうというか、『In The Flesh 2010』はLIVE Nationの仕切りだったからあんまりレコード会社は噛んでなかったのかもねぇ。そこらへんでこじれて『Utada The Best』の発売に繋がっていったのだとしたら痛し痒しなんだけども。いやそんな根拠の無い推測は要らないぞ? それはいいとして。

つまり、今後ヒカルの判断で、日本でのコンサートでも英語楽曲が増える可能性だってなくはないのである。MCが英語になるケースは……客層次第だろうな。昔代々木にメタリカのコンサートに行ったら白人黒人が多くて戦いた記憶がある。世界中で売れていれば、在日外国人の皆様もコンサートに来たくなるわね。ヒカルも海外で売れたら日本在住の英語圏民が沢山コンサートにやってきて、じゃあMCでもちょっと英語挟んじゃおうっかなとなるかもしれない。総ては流動的だ。

勿論、そうやって『In The Flesh 2010』でファン層を慮って日本語曲を増やしたヒカルさんなので、一方で、日本では英語曲を快く思わない層が一定数居る事も自覚があるだろう。そこらへんのバランスだろうな。人数というより空気と言った方がいいかもしれない。不満を口に出すというのは社会的なものなので、言いにくかったら言わないのだ。それが健全かどうかはさておき、それが問題であるとすらまず思わない所まで持って行ければいいんだけどね。まーそれはかなり難しい。

言葉の壁は厚い。音楽は国境を越えると言いたくなる気持ちはよくわかるがこと日本に関しては半世紀、洋楽のシェアは変わらない。今後ここに変化が表れる事を期待できるのか。やっぱりヒカルの英語曲を聴くには日本を飛び出すしかないのかなとなるのかなー。

あーでも、そうか、少なくとも『Simple And Clean』『Sanctuary』『Don't Think Twice』『Face My Fears (English Version)』に関しては日本じゃ難しいかなー。それなら『光』『Passion』『誓い』『Face My Fears (Japanese Version)』を歌ってくれ、となるもんね。色々とままならねーな。

とすると、10年前の今日現地で『Sanctuary』(半分だけだけど)と『Simple And Clean』を聴けたのはかなりの貴重な体験だったのかもわからないな私な。いやはや、行っとくもんだわ。(煽った)

まぁまだヒカルも36歳。その気ならまだまだツアーが出来る筈。最初から決めつけないで希望を捨てずに参りましょうよ。