無意識日記々

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小学生の頃からファンです

宇都宮隆という男が居てだな。ご存知TM NETWORKのフロントマンなんだが。

彼はシンガーとしての能力は決して高くない。声域は狭くないし声量もそこそこ。音程の正確さもライブは勿論のことスタジオ盤でも危うい。英語の発音もいいとはいえないし、日本語の発音だって滑舌がいいタイプでもない。あと、ルックスも実はいうほど二枚目ってほどでもない。

だが、この男が小室哲哉の書いた曲をステージで歌うとメチャメチャカッコイイのである。日本語のメロディも英語のリフレインもサマになるったらありゃしない。本当に他の追随を許さない。90年代、小室哲哉はプロデューサーとしてブレイクしたが彼の手掛けたシンガーは篠原涼子trfTRF、globe、華原朋美安室奈美恵鈴木あみと悉く女性ヴォーカリストだった。H jungleくらいじゃなかろうか男性でヒットしたのって。

これって多分、小室哲哉にとって、男性ヴォーカリストとして宇都宮隆に優る人材が何処にも居なかったからではなかったか。言うほど彼らのパーソナリティは知らないのだが、自分のメロディをいちばん活かしてくれるのはウツだという確信があったように思う。

宇都宮隆の歌は勇猛果敢で雄々しく、男性ファンにカッコイイと憧れられるスタイルだ。と同時に少し甘い囁きと優しい歌声で80年代中期は女性ファンを虜にした事でも知られる。男女両方からカッコイイと痺れられ憧れられる存在だった。それもまた稀有だった。

何故彼はあんなにもカッコよかったのだろう? 歌唱能力は突出していないにもかかわらず。思うに、彼は、自分自身がカッコイイと信じて疑わなかったからではないだろうか。宇都宮隆であることの自信。自分かカッコイイと思っているからカッコよくなれる。そんな訳ない筈だしそもそも自己言及的というか自家撞着的というか、卵が先か鶏が先かという話なのだけれども、彼の歌とパフォーマンスには宇都宮隆であることに迷いがない。更にいえば、彼は小室哲哉に全幅の信頼を置いていたのではないか。最高に自分を活かしてくれる作曲家の書いた歌を俺が歌うのだからカッコよくならない筈がないと、わざとらしくではなく、心の底から信じ切っていたのではないだろうか。昔見たパフォーマンスを思い出しながら、そんな事を考えていた。

ヒカルが昔アレサ・フランクリンを見た時ステージでは"confidence/自信"が大事だと痛感していた、という話はこの日記でも度々してきている。ヒカルの歌唱力は上昇の一途であり、今や日本語で歌う現役歌手で比較できる相手など何処にも見当たらない程に別次元の存在になっている。能力の高さは折り紙付きだ。

そんなヒカルがここから更にライブ・パフォーマーとして成長するにはどういった要素が必要だろうかと考えた時に、今言った宇都宮隆の姿が思い浮かんできた。性別は異なるが、歌唱力とは全く別の領域で歌を活かせる方法論というのがあるんだという気づきはこんな高い所まで来ているからこそ必要なのではないか。

ヒカルはステージで全力である。『Laughter In The Dark Tour 2018』のアイランドステージでのパフォーマンスは圧巻の一言だった。あそこから更に何かを上積みするとしたら、もっと大きい余裕というか、包容力だったりするのではないだろうか。宇都宮隆はステージで非常に集中していて迷いがない。故にこの兄貴についていけば間違いない、という確信をオーディエンスに持たせれる稀有な魅力を持っている。ヒカルでいえばそれは、ライブパフォーマーとしても“パイセン”になることなんだと思うのだ。自信に満ち溢れ、辺りを見渡し、人々の期待を背負えるスケール感と包容力。ヒカルパイセンの快進撃が始まるのを期待するのもアリなんじゃないかな。

一方で、やっぱりあの辿々しいMCは捨て難いなぁと矛盾した思いも抱えてみたり。ほんと、贅沢だわーうちらの時代。