無意識日記々

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走り抜けたB&C

ヒカルが『B&C』の歌詞を書いた時のエピソードを大昔にメッセで語っている。

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1999.07.04

「有名なカップルをテーマにした曲書いてみない?」ってプロデューサーさんが言い出して、彼はアダムとイブをプッシュしてたのね。でもそれってちょっと私っぽくない感じ??それに、西洋の男女差別を象徴する話だから私は嫌いだし。(だってあれ、女は夫のイイナリになるって神様に約束させられるんだよ??)んで!Bonnie&Clydeにしちゃったのさ。

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このメッセを読んだ時、従来からのTM NETWORKファンはこう叫んだのではないか。「それなんてSelf Control?」と。

彼らの1987年の4thオリジナルフルアルバムのタイトルトラック「Self Control」にはこんな一節が出てくる。

「しばられたアダムとイブ

 走り抜けたボニー&クライド

 大切なあの子の目を

 それ以上曇らせないで」

ヒカルがこの曲の影響を受けたとは言わない。「Get Wild」が好きと言ってもそれはアニメ「CITY HUNTER」の主題歌として、だ。当時5歳。家にない邦楽のアーティストのレコードを深堀りして他の曲までリーチしようということはなかったと思われる。

この歌詞が表しているのは、欧米では、或いは日本でもある程度は、そもそも「アダムとイブ」と「ボニー&クライド」は対比されやすいカップルなのだということだ。そして、その対比の特徴を「しばられた」と「走り抜けた」の2語で表現しているのである。束縛と自由。作詞は小室みつ子。作曲の小室哲哉とは血縁関係にない。なんで全くの赤の他人が同じ(しかも結構珍しい)苗字で作詞作曲を担当するのかと不当に憤っていたのが懐かしい。ヤな小学生だな俺。

ヒカルも、上記の通り、しばられたアダムとイブより走り抜けたボニー&クライドの方を選んだ。走り抜けた挙句の結末についても、同じ日のメッセでヒカルはこう、解説してくれている。

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Bonnie&Clydeはアメリカでは年齢を問わずジッチャンバッチャンにも誰にでも知られている、1930年代のアメリカを大混乱におとしいれた非常にラブリーなカップルです。Adam&Eveに次ぐ有名カップルかな?

Bonnieはテキサスの小さなホコリっぽい町で、詩人と歌手になることを夢見るおとなしくて成績優秀な女のコだったが、無法者のClydeと恋に落ち、二人で銀行強盗を繰り返すことになる。10人もの警官が殉死し、アメリカ中がパニックに陥る。警察がBonnieに「自由にしてやる代わりにClydeを引き渡さないか」という話を持ち掛け、Clyde自身も彼女が取引に応じ自由になることを願うにも関わらず、Bonnieは「彼が死ぬ時は私も死ぬ時」と言って拒否する。そして2年間の逃亡生活の末、二人は警官に銃殺される。彼女はまだ23歳だった。

とまぁ、ストーリーだけだとヘヴィーな感じだけど、本当にかっこいい伝説的カップルなのです。

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最後銃殺される場面は『B&C』のスタジオバージョンでもラストの効果音で再現されている。仮タイトルにもなっていた『何があっても』という一言は生命を賭けた叫びであった。ボニーとクライドの生き方は現在のニッポンでは「迷惑だなぁ」の一言で片付けられるかもしれないが、『Self Control』の曲調の如く焦燥感と疾走感に溢れた2人の生き様は、『B&C』を通して我々に訴えかけてくる。一児の母となったヒカルが今この歌についてどう感じているかも訊いてみたいところですね。