無意識日記々

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自立していて、曲として大人。

という訳で日記に現れている通り今週は小室哲哉サウンドを沢山聴いている。やっぱいいなぁ。

小室哲哉本人はヒカルが出てきた時に負けたと感じたらしいが、単純に書いた楽曲の数と総売上に関してはヒカルは全く及ばない。『First Love』や『Flavor Of Life』でドカンととんでもない売上を記録して色んなものを抜き去るスタイルで来たけれど、90年代の量産型小室ミュージックの物量作戦には敵わなかった。いや勿論、彼が引退しているのでこれからヒカルが追い越す可能性はあるのですが。

と、売上の話をしておいて何なんだが、歌の価値って他の歌に勝った負けたではなくて、単にそれぞれの曲があたしらの人生の瞬間々々にどれだけ寄り添ってくれたかの方に重点があると思う。あたしゃそうだ。その観点からいえば、粗製濫造と謗られようとも「数」の面で圧倒的だった小室ミュージックにはそれはそれで価値があった。その時々で思い出の歌が幾つも嵌るからだ。

ヒカルは寡作とまではいかないまでも非常に1曲々々を丁寧に仕上げるので時間が掛かる。お陰で1曲々々がとても重い。ただ、本人が作り終えたら聴かないスタイルなので、なんだろう、1曲々々が独立し過ぎているきらいはある。宇多田サウンドを浴びるとか浸るとかいうより、1曲ずつ輪郭を堪能するというか。

それがひとつ、孤独の表現なのかもしれないな、とも思った。ひとつひとつの楽曲の完成度が高くその中でそれぞれで完結している為、他の楽曲との繋がりが薄い。勿論、幾つかそうとは言えない例もある。『Automatic』〜『Movin' on without you』〜『First Love』と『Be My Last』〜『Passion』〜『Keep Trying』はそれぞれ三部作と呼ばれているし、Utadaの曲には『Automatic Part II』なんてのもある。『DISTANCE』と『FINAL DISTANCE』の関係も特別だ。しかし、ある意味、弱さが無いという点は突出している。どの曲も自立していて、曲として大人なのだ。

ヒカルはしっかりと大人になるまで育て上げてから曲をリリースする。小室哲哉はいちばん忙しい時期は殆どの曲を見切り発車で仕上げていっていたように思う。優劣ではなく、それぞれに思い出を彩る名曲をそれぞれのペースで僕らに与えてくれてきたのだ。ただ、本人が負けたと言っていたので、彼のサウンドを聴きながら「そんなことないのになぁ」と言いたくなっただけのこと。そういうのが気にならなくなったら引退撤回する気になりそうな気もしますが、まぁ今更って言われるのかもだけど。60過ぎても名曲作ってるソングライターはいっぱい居ますよぉ。ヒカルに曲書いてくれてもいいんだしね。