無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

しみったれない方策としての?ドラムス

アルバム『初恋』、前半の異様な密度から解放された真ん中らへんあたりから曲調がリラックスするというか落ち着いた雰囲気になっていくのだが、なぜかどの曲にもドラムスが入る。いや、それ自体は嫌じゃないんだけど、静かなだけの曲をただ歌うという感じにはしなかったんだなーって。

『Fantome』でも『人魚』にドタバタしたドラムスを入れていて、これ、アルバム全体の流れからすればハープと独唱でよかったんじゃないのと最初は思ったんだけど、そこなんだよね。「1曲毎のアレンジを決める際にアルバム全体のバランスというのをヒカルは考えているのだろうか?」という疑問というか問題設定が自分の中で湧き上がったのだ。

『人魚』はヒカルが曲作りを続ける、戻ってくる切っ掛けになった曲だからアルバムのバランスとか流れとかとは関係なく独立した曲としてアレンジされている可能性が高い。だから遠慮なくドラムを入れて一曲で完成された感じを出した、と。

一方、アルバム『初恋』の真ん中あたり、『Good Night』〜『パクチーの唄』〜『残り香』の3曲はもし総てドラムレスのアコースティックサウンドで固めていたら居眠りタイムになってしまうという危惧感がはたらいてドラムスを派手に入れたのでは?なんていう解釈も出来なくはないかなとな。

あの絶妙の曲順を誇る『HEART STATION』でさえヒカルは曲順にタッチしていなかった風な言い方をしていたので、そもそも曲を書く時にアルバム全体のバランスは考えていないのかなと匂わせつつ、他方、同じく『HEART STATION』アルバムの最後の曲を作る時に取って置きのバラードを「しみったれ」と罵ってゴミ箱にぶち込んだ挙句にそのあと僅か5日間で『Celebrate』を完成させたりもしている。これなんかは、その時の気分もそうなのだが、これでアルバムにもう一曲バラードが入ったら少し重くなり過ぎやしないかという計算もはたらいたようにみえたのだ。『Celebrate』の軽快さはアルバムのちょうど真ん中で素晴らしい生命力を提供しているものね。あれがバラードだったらと思うと確かにアルバムの色合いが全く変わっていたな。

そんな感じなので、ヒカルが目下作曲中だとして(* 物凄く個人的願望が介入している想定です)、「アルバムの全体像が見えているかどうか」は遠因としてアレンジに影響を与えたりしているのではないかなと。つまり、最初のうちはアルバム云々を考えずに独立した楽曲として携わっているのだが、何曲かそうしているうちに「これらの曲が全部入るのか」と気がついたくらいのタイミングからヒカルはバランスみたいなものを感じ取り始めていそうで。まぁでもきっと、いちばんアルバムを意識するのはレコーディングのデッドラインを設定された時だろうかなっ!

アレンジの意図云々を知る為に、またいつかアコースティック・ライブをやって欲しい。『MTV Unplugged』は電気楽器がないというだけでかなりの大編成なゴージャス・サウンドだったが、今度は小編成で、それこそ『パクチーの唄』なんかを優しく、座って(!)歌ってみて欲しいかな、なんてな、思うのでしたよ。『WINGS』の弾き語りとか『夕凪』の生楽器縛りとか……いやはや、色々と妄想が膨らみますわな。