無意識日記々

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「最大勢力は無党派層」?

『Don't Think Twice』の『if you want to take it to an even higher level』の『level』の歌い方がなんか好きだなぁと思ってみたり。それはさておき。

自分がその昔野球ファンでもないのに毎日イチローのバッティングをチェックしていたのは、他では見られない美しいプレイスタイルだったからだ。もっと言えば、日本の野球選手の典型的スタイルではなかったから野球自体に興味がなくとも惹かれた訳だ。そんな異端児の彼が最終的には日本出身のベースボール・プレイヤー史上最高の選手として名を残す事になったのだからわからないものである。異端が正統の代表となったのだ。

それと同じとは言わないけれど、宇多田ヒカルにも似たような所がある。御存知のように『First Love』という過去最高売り上げアルバム記録を持っているのだが、本人はどこに属するタイプでもかかった。90年代後期といえば小室ファミリーつんくファミリー小林武史プロデュースとかヴィジュアル系とか様々な集団的なクラスタがある中で、なんのコネもゆかりも無い歌手がいきなり出てきてNo.1になったのだ。いや藤圭子の娘じゃないかと言われそうだが、その藤圭子こそ「なんのコネもゆかりもないのにデビューしていきなり頂点に立った」歌手の元祖でな。37週連続アルバム首位とか意味がわからないよね。

ヒカルは東京と紐育を行き来する生活の中でどこにも属さない感性を持ち続けていた訳だが、そんなアウトサイダーの書く歌詞が最大多数の共感を呼んだという事実は特筆に値する。この国ではどこにも属さず疎外感を感じている人間が多数派なのだろうか。なんだか政治でいえば「最大勢力は無党派層」みたいな感じで、納得できるようなできないような……?

本来アウトサイダーはバラバラに存在していて(そりゃそうだ、大きく群れていたらアウトサイドじゃないわな)、特に脅威ではないのだが、こうやって宇多田ヒカルが歌うことで「可視化」されるとその存在の大きさに驚かされる、というね。確かに、普段耳にするのは「身の回りに宇多田ヒカルファンが居ない」という話だったりしてとても自分が多数派の人間とは実感できないケースが多いのよね。浜崎あゆみとかハロプロとかジャニーズとかだとそうでもなさそうだったのにな。今はどうなんだろうね。

この「可視化」の齎す帰結に関しては……書き始めたら長くなるな。まぁ節々で触れていきたいと思いますよっと。