無意識日記々

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Is 虫酸 still running?

『Poppin'』の機能性の話をしたが、商業音楽はコミュニケーション・ツールとしての機能性をインターネットに取って変わられて大分経つ。それこそ20年位になるんかな。

90年代には商業音楽が他者とのコミュニケーションに大いに活躍した。毎週誰々の新曲が出るからお前はこっちを買え俺はこっちを買うから貸し借りしよう、とか週末にはカラオケに行くからシングルのカップリングの“original karaoke”聴いて練習しとけよとか。なんだかんだでテレビでも多く取り上げられていたし毎年売上記録が更新されていっていた。単なる市場としても魅力的だった。

ポケベルが流行りケータイが定着し、電子メールアドレスだブラウズだという事になってきてから音楽による交流機能は後退する。歌を媒介にしなくても直接(離れて)会話すればいいのだから。それと共に売り上げも落ちていった。その黄昏の時代の代表者が宇多田ヒカルさんでねぇ……。

で。2015年からサブスクリプション・ストリーミング・サービスが開始されて漸く音楽も同じ土俵に立てたと言いますか。海外ではここから音楽消費がV字回復している。インターネットを敵視するのではなく、完全にインターネットに乗っかって、ニュースやコミュニケーション同様のアクセスのひとつとして音楽が再浮上した。今度は音楽を手掛かりに交流するというよりは、交流の中のコンテンツとして扱われる。

なかなか、そういう意味で音楽ストリーミングのSNS化はまだまだだ。でも、画像SNSのいちばんの出世頭であるInstagramだってここまで来るのに10年近く掛かっている。音楽はもっと図体がデカいし大体有料だ。もっと時間が掛かるだろう。

そういう中でヒカルさんの音楽はどのようにコミュニケーションに貢献するだろうか。何しろ「みんな同じように感じてる。ひとりにして、ってね。」と歌ってしまう人である。ファンは大体コミュ障だったりしそうなのでな。しかも、ヒカルの歌は機能性が弱い。本当にこの音楽が、または人が好きという人しか集まらない。

そこは、なんだろう、旧世代の最後の世代といいますか、マスメディアで有名になったお陰で今でも足腰が弱いままといいますか。ひたすら全国にファンが点在していて、恐らく多くの人達が他のファンと交流せずにひとりでヒカルを愛している。この日記だって10年読んでるけど未だにあたしに話しかけたことがない人とかいたりするかもしれない。(……居たら話しかけて欲しいような、でもずっと黙ってて記録を更新し続けてて欲しいような?(笑))

それは体質であって、そもそもSNS自体にあんまり馴染めない人が好きになる類の音楽で、それが日本ではかなりの多数派を形成している。

だがそれは「今は昔」なのだろうか? THE BACK HORNと共演し、歳下の男性歌手をプロデュースし、母親と同期の歌手に尊敬され、聴いて育った弦楽隊を従えるような、人との交流がスムースになっている今のヒカルさんは今でも虹色バスに乗りたがっているのだろうか。そもそも、こどもがいる人が本当の意味で1人になりたいのだろうか? それは子育てに疲れたから1人になれる時間が欲しい、とかいう「1人になりたい」とは対極だったりもするのだけれど。

うむ、『For You』の内省性と『Poppin'』のパーティ気分に挟まれて、はて今のヒカルさんどのあたり?と思ってしまった。今週のとっちらかり具合は、そこらへんに原因がありそうです。そろそろリアクションが欲しくて「聞いて聞いて!」と元気にツイートするヒカルさんが見られるかもしれませんね。さて、どうでしょうか。