無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

記憶と記録と言及と

うぉ、アルバム『HEART STATION』からもう12年か。その年は北京オリンピックだった。次がロンドンその次がリオ、そして今年は東京に……なるかどうかわからなくなってるのが現況だよねとほほ。

とはいっても、『HEART STATION』と北京オリンピックは自分の中で全く繋がっていなくって。今「へぇ〜、同じ年だったんだ」と感心しているところ。結局のところ時間の流れの感覚って「記憶と言及」でしかなく、法事の度に親戚に「大きくなったな!」と言われたのは単に情報のアップデート間隔が年単位だったからで。毎日会ってる親はそんな事言わない。要するに頻度だよね。

なので、例えば「この12年間ってあっという間だったね! 『HEART STATION』が出たのが昨日の事のように思えるよ!」とは私は口が裂けても言えない。裂けたらそもそも何も言えないがそれは兎も角、自分の場合12年間分の無意識日記があるので全く昨日の事ではなく、しっかりと12年分の記録と言及があるのだった。従って自分の脳裏にはここに書いてある分量が掠めるので全くあっという間になってくれない。ちゃんと12年経っている。いやまぁ凄く昔ですよ有り体に言えば。

だからと言って古びるとかではなくて。どちらかというと預金通帳の残高が増えたのを見るのに近いかな? その分量が常に目の前に積まれているといいますか。なので『初恋』などはその分量の上に更に積まれたいちばん上に君臨している訳で、寧ろ新曲新作を聴く度にその歴史の重みを感じるのだった。

そうなってくると逆に新曲を聴いた時の感覚が「初めて宇多田ヒカルを聴いた人」のそれから遠く離れてしまう訳でねー。それを知る必要があるのかと言われそうだが相手はPop Music、街角でふと流れてきた時に振り返りたくなるかが重要だ。自分はきっとそれに対する感覚が年々鈍っている。すぐに歴史を参照できてしまうから。だから出来るだけ次の新曲に相対する時にはアタマを空っぽにしておきたいのだが、いやー難しいね。

ここはやっぱり、ヒカルについては無理にしても、普段から他の新しい音楽に出逢う事を心掛けるしかないかなーと思っているところ。全然知らない方角からの邦楽インプットを怠らないようにしておけば、それにある程度倣ってヒカルの新曲も新鮮な感覚で味わえるかも。すぐに過去の楽曲と較べてここが変わったここが似ていると言いたくなるのをあっさり捨て去って身軽に接せれたらなーって。まーでも、図体がデカいと煩わしいぜ。えへへ。あーあw