ヒカルさんって時々、歌の中で登場人物の立場から離れて“宇多田ヒカルとして”話し掛けてくる事があるよね。例えば……
『キーが高すぎるなら下げてもいいよ 歌は変わらない強さ持ってる』
『もう済んだことと決めつけて損したこと あなたにもありませんか?』
『期待をされてプレッシャーすごい それでもやるしかないんです』
『調子に乗ってた時期もあると思います』
……こんな感じに。歌の歌詞って、そこでひとつの世界を作っていて、いわばテレビを通してドラマを観ているような感覚で聴いていて、リスナーであるこちらは基本的にその世界の中とは何の接点もないもんだ、という前提が無意識の中にある。だから、ヒカルが歌っている歌詞もそのドラマの世界の中であなたとか君とかに歌いかけているんだろう、という“油断”が、聴き手の中にはあるんだよねぇ。そこをいきなり突き破って画面の向こから話し掛けてくるインパクトよ。初めて聴いた時は結構吃驚したよね。私はこれを昔から「古畑任三郎方式」と呼んでいる。……古いかな? 昔そういう名前の田村正和が探偵役のテレビドラマがあって、彼が謎を総て解いた時に唐突に画面が暗転してスポットライトを浴びた彼がいきなり視聴者に語り掛けてくる、っていう演出があったんだよっ! なんかヒカルが歌の中でヒカルになって語り掛けてくる場面もそれにちょっと似ているなぁって。
で、既にお気づきの方もあるだろうが、上に挙げた四例、『Wait & See 〜リスク〜』『This Is Love』『Fight The Blues』『道』、とこれらはいずれもオリジナル・アルバムのオープニング・ナンバーなのだ。これを偶然にもとか奇しくもとか言っていいものか?
勿論、オープニング以外にもそれっぽい歌詞はある。『BLUE』の『あんたに何がわかるんだい』とか『蹴っ飛ばせ』の『勝手な年頃でごめんね』とか『Parody』の『誰かの真似じゃない私はこれから続きを書きます』とか。これらもどこか素の宇多田ヒカルに少し戻ってる感がある。しかしやっぱり結構明確に「突然宇多田ヒカルに戻って」いるのはオープニング・ナンバーに固まっている気がするのよ。
ヒカルはアルバムの事を考えて曲を作る方ではないから曲順なんかも合議制だったり時には三宅さんと照實さんに丸投げだったりするらしいのだが、曲を作ってる最中に「これはアルバムの一曲目っぽいな」とかそういう感触は得ているのかもしれない。その中で少し意識して“宇多田ヒカル本人の台詞”を歌詞の中に織り込んでいる可能性も十二分にある。
そう言いたくなるのは、ヒカルのオープニング・ナンバーの中には一曲丸々リスナーに語り掛けている曲があるからだ。どれでしょ。わかるかな? ……忘れないで欲しい。『EXODUS』のオープニング・ナンバー、その名もズバリ『Opening』だ。このタイトルでアルバムの一曲目じゃないなんてことは有り得ないわな。
『Opening』の歌詞はこんな風。
『I don't wanna cross over between this genre, that genre
Between you and I is where I wanna cross over, cross the line
I just wanna go further between here and there, grow wiser
Together you and I we can wrestle borders, you and I
Only, all day you can make me, only you, only you can make me ......』
もうモロにまるまる、「宇多田ヒカルからリスナーへのメッセージ」になっている。ヒカルはやっぱりアルバムの冒頭でどこかリスナーに語り掛けたくなる事があるんだなー。その集約がこの『Opening』なのだろう。そんな風に感じているのでありますっ。