無意識日記々

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弛んだ時間

ラフダク病というのがあってだな。今までもチラチラ書いてきたが、あんまりにも『Laughter In The Dark Tour 2018』映像商品を観過ぎてしまった為に久々にスタジオバージョンの『初恋』を聴いた時に「えらく静寂部分が短いな! こんなにすぐ歌い出すんだっけ?」と思ったり、『Too Proud』を聴いた時に「いきなり知らんおっさんが英語でラップ始めた!?」と素っ頓狂な驚き方をしたり、『大空を抱きしめて』のイントロを聴いたら自動的に土管の又吉直樹とヒカルの姿が思い浮かんだりと結構散々。映像商品になって繰り返し何度も観れるようになったせい。あたしの場合iPodに入れて外で音だけ聴くモードもあるもんだから音源としてスタジオ・アルバムと同列に扱ってる部分もあるので余計にラフダク病に拍車が掛かった。

それも今は昔。もうどのコンテンツも満遍なく触れるようになったので、ちゃんと中身を咀嚼出来てる訳では全然ないのだけどやっと『Laughter In The Dark Tour 2018』が過去のものになりつつあるかなぁと。名前の通り元々は2018年だから一昨年の話なんだよね。言えば平成の話なんだよね。今もう令和二年度ですよ。

でも、宇多田ヒカルはPop Musicianなので、あまり「ここまでの流れを踏まえて」ばかり考えて欲しくなくて。ただでさえキャリアが長くてファンの固定観念や先入観がめんどくさく(笑)なっているだろうに、そちらにばかり気を取られているとPopからどんどん離れていくだろうなと。出来れば毎回々々新しい、まっさらの人間が初めて耳にして感じるところのある音楽を作って欲しくてねぇ。そのバランス、舵取りはキャリアが長くなればなるほど難しくなっていくのだけど。

やっぱり、曲は漠然と「みんな」に対して書くより特定の誰かに宛てて書いた方が響くからね、その特定の誰かが近ければ近いほど内輪ノリになってしまう危険性が多いといいますか。でも20年も経つとそっちの内輪ノリ・内輪ウケの方が儲かったりするのよねぇ。ミュージシャンの成長を止めるのは我々長年のファンの固定化したリアクションだったりするんですよ。一方で長いからこそほんのちょっとの違和感に気づけたりとメリットもあるわけでね。結局はバランスの問題。

新年度で本来なら学年や所属が変わって新しくファンになる人達が出てくるのを期待するタイミングなのだけど、世情がそれを許してくれてない、かな。結構な修正が必要なのだけど、ボーナスタイムだと思ってこの思わぬ「キャリアの上で弛んだ時間」を有効活用しておきたいですよっと。