無意識日記々

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メッセに人生を変えられた人、挙手!

今朝のラジオで「コロナによるピンチをチャンスに」という記者の提言に対して「スポーツじゃないんだから」と丁寧なお便りを頂いた、という話があった。あたしなりに解釈すれば、人生をゲームみたいに捉えるのはふざけている、不謹慎だから辞めなさいみたいな事なのかなと思ったのだが、自粛が行き過ぎて生きることに対して萎縮し始めてませんかそれ。

ところでところてん、昨日オフィシャル・サイトutadahikaru.jpが503テンポってるということですわリニューアルなのかと思いきや実はソニーのサイト全体がサイバー攻撃を受けていた、というニュースがあった。私が勝手に推測するに、在宅勤務によるリモートワークの激増の間隙をクラッカーさんが突いてきたのではないかと。終業後の時間帯を狙った所からも結構な確信犯(誤用の方)だったのではないかなぁ。にわか仕込みの在宅勤務/リモートワークが増えてるだろうという推理を元にね。考えたもんだ。503ならアクセス攻撃だし、新型コロナウィルスを気にしてたらコンピュータ・ウィルスにやられました、とかっていう小噺みたいな顛末を想像中です。

でも、それこそこのピンチこそチャンスだと思うのよ。折角オフィシャル・サイトにアクセス出来ない時間帯が期せずして作れたのだから本当に思い切ってリニューアルしてみては如何。時間が少なくて大した事は出来ないかもしれないが………メッセのパーマリンクを復活させる位は出来るんでないの? 元々のファイル構造持ってきて貼っつけるだけでしょ。ほら今すぐやんなさいな。毎日ページを捲ってはスクショ取ってる身にもなりなさいって。仮にヒカルが昔の発言を掘り返されたくなくてこうやってメッセのページを奥に追いやっているのだとしても、残念だがあれはもう公共財みたいなもんなのだ。余りにも多くの人々の人生を変えてしまったのだから。あたしだってそう。今更その“責任”から逃れようとしても、カタチだけのことにしかならないよ。それこそヒカルがいちばん嫌うヤツじゃねーかそれ?

第一、staff diaryの方はdiary=日記だけど、ヒカルのメッセは『Message from Hikki』─メッセージなのだから、受け取り手である我々らと共に在るものだと解釈すべきでしょう。ただ単に宇多田ヒカルの日記として公開してたものを後年恥ずかしくなったから奥に仕舞い込んだとなれば「しゃーねーなー」って気分にもなるけれど、受け手に送ったメッセージとなれば、話は違ってくる。リアルの手紙って書いた人じゃなくて受け取った人が持ってるものじゃない? 送ってしまってもう手元に無い訳だから。だったらメッセも我々が持ってる風に扱えるようになっているべきでしょう。もっと言えば、取捨選択権は我々にあるべきだ。

需要は勿論ある。宇多田共和国アカウントの【今日は何の日宇多田ヒカル】で昔のメッセを紹介した時も、必ず誰がしかのリツイートやいいねがある(いつも本当にありがとうございますm(_ _)m)。読んでる人、読みたい人が居るのだ。毎日ね。そんなものを玩具箱にまとめて放り込むみたいな扱いで放置されても、私は釈然としない。キッチリ戸棚の引き出しに整理整頓してすぐに取り出せるようにして仕舞って置いて欲しい。是非是非検討を、宜しくお願い申し上げます。

……この話題書くの、何度目だろうね……。ま、何度だって書くよ。あのページに人生を変えられた者の一人として、ね。