無意識日記々

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私が演説を嫌う理由

「音楽は役に立たないから素晴らしい」。全く同感だ。もっと踏み込んで言えば、役に立ってはならないとすら言える。

“熱狂”が悲劇を生むのは、わざわざナチス・ドイツの例を出すまでもなく明らかだろう。政治と宗教で熱狂的な支持を得るリーダーが出てきた時、必ずや諍いや歪み、争いが巻き起こる。政治と宗教は生活に寄り添って細々と営まれているうちはとても有用なものだが、日々の退屈や鬱憤への対応策として熱狂を生みそれを利用し機能し始めると途端に恐るべき残虐装置に早変わりする。国家による戦争とカルトによるゲリラ・テロは枚挙に暇がない。

音楽もまた、そういった日々の退屈や鬱憤を吸収し熱狂に変えてくれる。そこまでは政治や宗教と同相だが、ここからが違う。役に立たないので、そこから先に何も起こらない。ライブコンサートで熱狂した民が次にとるアクションは次のコンサートへの準備であって社会の他の部分へのはたらきかけではない(理想的には、ね)。音楽は日々の退屈や鬱憤や憤怒や悲嘆を熱狂に変え、そしてそのまま吸収して終わりである。それは平和と平穏に大きく貢献している。逆説的且つ矛盾した表現だが、役に立たない事が役に立つのだ。

もし音楽に能動的な機能(役に立つ何か)があるのなら、何らかの形でそれを人類社会の形成において利用されてしまうだろう。熱狂が悲劇に変容する過程を生んでしまう。それを避ける為にも、音楽は自らが何の役にも立たない事を証明し続けなくてはならない。要は、余計な事をせずに邁進し続けるのが良好なのだ。

音楽で世界的に成功するとその影響力を世界的に行使したい思いに駆られる。それ自体は悪いことではない。音楽で得た財産や知名度を利用した活動。音楽家とはいえ人間だ。政治的な時間もあれば宗教的な時間もあろう。だが、音楽そのものを役に立てようとする態度からは距離を置いた方がいい。純粋に財産や知名度を利用しよう。

……一体誰に向けてのメッセージなのか自分で書いていてもわからないのだが、ただ書きたくなったから書いた。それだけです。うわ笑えるオチも何も無いのかよ。役に立たねーブログだなこれ(笑)。

(……なかなかいい褒め言葉ですね)