無意識日記々

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A Solitary Walk Time(独歩時)

新しいサントリー天然水のCMでヒカルが『誰にも言わない』をバックに朗読しているのは国木田独歩の短編「小春」からの一節だ。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000038/files/42202_48332.html

「月光をして汝の逍遙を照らしめよ、霧深き山谷の風をしてほしいままに汝を吹かしめよ。」

これは本文中にもあるようにウォーズウォルス詩集にある

“Therefore let the moon

Shine on thee in thy solitary walk;

And let the misty mountain winds

be free to blow against thee.”

の邦訳である。英語の方がわかりやすいのは独歩の衒学趣味のせいか。まぁそれはいいとして、『誰にも言わない』でもどうやら月夜を散歩しているようなので、そもそも歌詞自体が直接独歩にインスパイアされたものなのだろう。(逍遥とは散策のことだ)

で最初に「ウォーズウォルスって誰じゃらほい?」と思ったが調べてみるとWordsworth、ワーズワースのことだった。wordsとworthで出来てる人名なんだからそんな勿体ぶった読み方をするのはこれもまた偏に独歩の衒学趣味の…(もういい(笑))。

ワーズワースの名は、その昔フジテレビで「ワーズワースの冒険」という番組があった事から、耳にした事のある人も多いかもしれない。自分は彼の名を全くの別ルートから知っていた。彼が英国の詩人、サミュエル・テイラー・コールリッジと共作していたからだ。

おっさんメタラーにとってコールリッジは必修科目である。何故なら英国の大ベテラン・ヘヴィ・メタル・バンド、アイアン・メイデンの代表曲「暗黒の航海」の歌詞がほぼそのまま彼の代表作「老水夫行」を下敷きにしているから。原題は"Rime Of Ancient Mariner". そう、そのまんまなのである。その為、ウィリアム・ワーズワースの名前くらいは見かけた事があった。

1984年に発表されたアイアン・メイデンの「暗黒の航海」の歴史的なインパクトは大きかった。13分38秒にも及ぶ大作。80年代中期以降メタリカやハロウィンの楽曲が長くなったのもこの楽曲が原因だった。大作主義を炸裂させたメタリカの「メタル・ジャスティス」が全米トップ10に入った事の意義の大きさといったら…

…なんて話は延々続いてしまうのでここらへんでカットして。アイアン・メイデンは2008年に「サムホェア・バック・イン・タイム」と題した80年代中期の楽曲を中心としたツアーを敢行、目玉は当然四半世紀ぶりとなる「暗黒の航海」の完全再現だった。そのライブ・パフォーマンスの成長と充実は著しく、その2年後の2010年に発表されたオリジナル・アルバム「ファイナル・フロンティア」は明らかに「暗黒の航海」の手法を踏襲した10分前後の曲が何曲も居並ぶ事となった。「暗黒の航海」は後続達を刺激するだけでは飽き足らず、それを創造したバンド自身をも四半世紀の時を超えてインスパイアした。それは彼らの過去の自らに学ぶ貪欲さの顕れでもあった。未来を見据え続けるバンドならではの挑戦者魂が炸裂していた。

宇多田ヒカルが『First Love』から19年後に『初恋』を、『Can You Keep A Secret?』からこれまた19年後に『誰にも言わない』を導き出してきているのも彼らと相似の状況だろう。過去の自分を尊重し、そこから更に成長を上乗せする。過去の栄光に縋る人間には決して辿り着けない境地だ。過去の栄華を自ら喧伝し更にそこに新曲を以て挑むというのは、アイアン・メイデンが過去の楽曲を中心としたツアーの次にすぐさま新作を仕上げてそのまま新作を中心としたツアーに繰り出したのと同形だ。「どうだ、昔の俺達も凄かったが今の俺達は更に凄いだろう?」とでも言いたげな横綱なアティテュード。これができるベテラン・アーティストは滅多に居ない。昔の曲中心にツアーした方が楽してお金が稼げるからね。わざわざ新曲と新作で勝負してくるベテランの存在は本当に貴重なのである。

宇多田ヒカルは、タイトルの仕掛けからしてもうそれを意図的に行っていると宣言しているのだ。凄まじい自信。しかもそれは、過去を拙いと切り捨てる態度とは真逆の、過去の栄光と業績を真正面から称えた上でのチャレンジだ。「挑戦者のみ貰える御褒美は更なる挑戦」とは本当によく言ったもの。20年以上音楽とそれを創造してきた自分自身に挑戦し続けてこんな境地まで来てしまった。そして、それをまだまだ続けていく気が満々なのだ。どこまで行くんだ宇多田さん。どこまでだろうとついて行きますよ。