無意識日記々

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人のフリ見て我がフリ大いにフリー

インスタライブを2回見て印象に残ったのは「とにかくヒカルは今やってる事を口に出して言うなぁ。」ってことだった。冒頭から「リクエストをオフにして、っと。」とか別に言わなくていい事まで全部言ってくれる。お陰で何かしている時も間が持ったりして案外悪くないのだが、そのうち余計なことを言いやしないかとヒヤヒヤしてくる。第2回ゲストの中村倫也くんが何も言わずにすっとイヤホンを嵌めたりさり気なく次の発言を促したりと対応がスマートだっただけに尚更ヒカルの「全部言う」スタイルが際立った。

ある意味、「演技ができない」「フリができない」のだろうな。見たまんまを言う。やったまんまを言う。生放送でいちばん大事なのは「実際はアタフタしている筈なのにそれをうまく誤魔化す事」だったりするのだが、ヒカルはそんな風にはしない。中村倫也くんは生粋の役者さんなのか、「役割を演じる」事に勘が働くといいますか、自分が司会進行をすべきと感じたらそう振る舞い、ヒカルさんを立てるべきところではまた違う振る舞いをし、そして最後にジャンケンを促す所のSっ気ですら恐らく「このタイミングではこう振る舞うべきだろうから」という判断でああいう言い方をしたように思う。そういう適応的な振る舞いを出来る人間は、手元の操作と口や表情に出すものがまるで違っていたりする。それが役者さん、お芝居ってもんだわな。

ヒカルは演技ができない。だからピノコ黒歴史に……と余計なことを言いたくなるがちょっと待った! 実際はきっとそんな事は無い。『女はみんな女優』と歌った事のある人だ。それなりの「振る舞い方」「役割の演じ方」は心得ていると思われる。

それが何故今「思ったこと&今やってることをそのまま口に出す」モードに居るかというと、たぶん子育てがそういうフェイズだからなのではないかなぁ、と。

ダヌパは4歳、そろそろ5歳という年齢だ。その頃のこどもに最も必要なのは、世に在る数多の人物、生物、物質、景色、動作、感情、状況、事件、等々等々、兎に角ありとあらゆる森羅万象の多くが「言葉にできること」「名前をつけられていること」を思い知ることだ。今やった自分の行為はこれこれこういうことなのだ、こういう言葉を使って言うことなのだというのを毎日々々、いや毎時毎分毎秒覚えていく時期。ことばを吸い込みまくる時期だ。

そんな時期のこども達に必要なのは、兎に角周りの大人が「ありのまま」を言葉に出して伝えることだ。「そうだねぇ、風船が膨らんだねぇ」とか「お水が冷たいねぇ」とか、なんでもいい、それらの経験に言葉を与え続けることが大切になってくる。今のヒカルお母さんは日々それを実践しまくっているのではないか。ただただ息子と、今目の前にあるものや起こったことに声を掛け続けているからインスタライブの途中もやれマイクが移っただのブラインドを開けただの言ってしまうのである。素晴らしい。子育てが順調な証拠だわいな。是非そのままのスタイルであと3回も貫いて欲しい。なぁに、手元にヨーグリーナを置かなければトラブルなんて起こらないのだ。気にする必要はない、いい加減このネタ書き飽きてるしな俺も。裏を返せばそれくらいしかミスったことないんよヒカルさん。弁えてますよそこらへんは。

という訳なので、ヒカルさん今「見たまんまをそのまま言うモード」に居るから、くれぐれも放送禁止用語を含んだ質問スタンプは送らないようにな皆の衆! フリじゃないぞ!そんなフリじゃないからなっ!(笑)