無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

世界に広げよう友達のWhat?

ヒカルとtakaくんの会話を聞いていると、世界って広いんだか狭いんだかわからなくなるね。

そもそもヒカルが藤圭子の娘だという時点で奇跡的なんだが、takaくんの御両親が森昌子&森進一というのも凄い。サラブレッドvsサラブレッドだねぇ。馬関係ないけど。

ちょっとWikipediaを覗いただけでも、そのtakaくんは元ジャニーズでNEWS結成当時のメンバーだったというし、ONE OK ROCKのベーシストのRYOTAくんはアヴリル・ラヴィーンの妹のミシェルと結婚したというし、そのアヴリルSUM41ニッケルバックのメンバーと結婚していたりで…うむ、なんだろうねホント。どこで誰が繋がっているのやら。

その気になればヒカルさん、大抵の人は引っ張ってこれんじゃないのと思わされてしまう。んなわきゃないのだけど。

ヒカルとtakaくんは日本とアメリカの音楽制作現場の違いについても語り合っていたけれど、どこでどういう人と関わり合うかは直接作風に影響を及ぼすので興味のあるところ。

それで思い出されるのは『This Is The One』の時の制作体制だ。この時ヒカルは主にSTARGATEとクリストファー“トリッキー”スチュワート&ザ・ドリームという全く毛色の違う2つのプロデューサー・チームと仕事をした訳だが、アルバムの大半を手掛けたSTARGATEとは殆ど会ったことがなくて作業は基本オンラインでのデータのやり取りであったらしい。他方、トリッキー&ドリームの方とはシカゴだったかな?自宅まで招かれてバーベキューだかを一緒に囲みアットホームでリア充な雰囲気の中で打ち解けていったのだと。

ホントに対照的な二組だった訳だが、つまりヒカルは昔から、そういうデジタルヲタクな制作体制とチアメリカの商業音楽勢によくあるチームで取り組む制作体制の両方を経験してきているのだ。そういう俯瞰を知っている人間が「日本よりアメリカの方がひとりで全部こなす人が多いのでは」的な事を指摘したのはどこか真実味があって誠に興味深い。最近は、皆も『夕凪』の風景で御存知の通り、スタジオセッションでの制作も増えてきているが、今後もヒカルはどの体制に拘ることも無く、局面毎にやり方を臨機応変に変えてくるんじゃないかなと。ヒカルのプロデューサーとしての顔を、やっぱり我々はまだまだ知らないのですよ。