無意識日記々

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Between UP & DOWN

ヒカルとtakaくんが「日本とアメリカの制作現場の違い」について触れていたが、恐らくそれは問いの立て方からして違うのだろう。「日本とアメリカ」の差より、「アメリカ国内でのジャンル間の差」の方が遥かに大きいからだ。

アメリカではジャンルの差は人種の差であり階級の差でありクラスタの差だ。冗談でも何でもなく、聴いてる音楽のジャンルと感染症による死亡率の間には統計的に有意な差が出るだろう。(だからこそそこそういう数字の出し方をする事には殊更注意しなくてはいけないのだが)

もっと言えば聴く音楽がアイデンティティと直結している。国として新しいからか、ある意味宗教の代替物に近いのかもしれない。

ここで思い出すのはUtadaの『Opening』&『Crossover Interlude』だ。

『I don't wanna crossover

 Between this genre, that genre

 Between you and I is where

 I wanna crossover, the line』

「私が超えたいのは“ジャンルとジャンルの間”じゃなく、あなたと私の間なの」と歌い出すこの歌詞に、Utadaが日本以外の国、特にアメリカに進出した事の意義を改めて思い返す。ここで「国と国の間」とか「言葉の壁」とか言わずに「genre/ジャンル」という言い方をした事に意図が集約されている。よく「音楽は言葉の壁を超える」と言うけれど、米国国内では同じ言語を喋る者同士がジャンルという壁によって分断されているのが現状だった……のだ。

この歌が歌われたのは16年前、2004年の頃だったが、それから状況は変化しただろうか? よくわからない。全米チャートを聴けば上位は相変わらず偏っているなぁと思わざるを得ないが、売上や知名度を度外視すれば驚く程多彩なコラボレーションが散見される。「YouTubeでみつけた」と言って僻地の才能を引っ張り出す事も多くなった。挙句にサブスクリプション・ストリーミングの普及で、大多数の音楽がインターネットの波及と同義になりつつある。色々と変わってはいるのだ。

そういう時勢を省みた上でヒカルの「英語アルバムを作る予定は無い」発言と「日本語と英語とイタリア語とフランス語が喋れる」姿を思い出すと、今世界中のファンに対してどういうスタンスでいるのかなと妄想が膨らんでしまう。英語ツイートで質問を募集したのに日本語での質問にしか答えなかったインスタライブ第1回。翻って、第2回第3回と確実に英語は増えイタリア語まで飛び出した。明後日の第4回のゲストは千葉くんに決まったが、最終第5回は英語圏やイタリア語圏のゲストを呼んでも面白いかもね。我々も何が何だかサッパリわからない会話を耳にしながら「海外のファンはいつもこんな感じで観てるのかなー」と棒読みするのも貴重な体験になりそうだ。