無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

“本領発揮”前

インスタライブが次回で最終回で、ドラマ「美食探偵〜」は続きが止まってて、明明後日には『誰にも言わない』がリリースされる。勿論我々は6月にいきなり「空っぽ」に放り出されるのを恐れている。安堵もあるけどね。

日本は緊急事態宣言とやらが解除されたばかりで、このレベルまで新規感染者数が下がればまたクラスタ対策が効くようになるというのが2ヶ月前の説明だったなぁ、なんて事を思い出す。凄く遠い過去に思えるな……。一方、イギリスの方は厳しい都市封鎖も何処吹く風、アメリカやブラジルと死者数を争うという哀しみ塗れの状況は変わらない。そんな国に今、ヒカルは住んでいる。

今回の疫病禍下で目立ったのが、欧米に住む日本語民の人達と日本在住の日本語民のテンションの差だった。違う星の話なのかというくらいに前提となるノリが違う。この人こんな人だっけ?というツイートが海外から幾つも日本語で流れてくる。ほんと別人なのかと感じること多々。

そんなだったので、欧米でも一二を争う厳しさの渦中に居るヒカルも少しはテンションが違うのかなと最初は危惧していたのだが、全くそんなことは無かったぜ。杞憂も杞憂、こちらの感覚とのズレは全く無い。今日本に居るんじゃね?という位に。

外出の不便などを語る時も、なんだろう、悲愴や切実がないわね。個性が国やら時勢やらの差を軽く大きく上回っているということか。まぁそれがいちばん如実に表れたのが、前回も触れた通り親友の闘病について話す時のトーンだわね。なんだろう、淡々と話してるのに全く冷たいと思わない。思えない。もっと騒いでも不思議ではない事だろうにね。そりゃ都市封鎖では揺るがんわ。親友の一大事なんて、普通ならもっと狼狽するところ。いい意味で、普通じゃない。

必要以上に重く見ていないし、当然侮ってもいない。「心の傷を身体の傷と同じようにみる」ように、常に落ち着いた視線を喪わないのだろう。目を背けるでもなく、目が離せないのでもなく。

いや勿論、こちらが与り知らぬ“プロセス”はあったかもしれない。親友さんから告白された時は狼狽したのかもしれない。わからない。しかし、極めて直ぐに、今の状態になったのだろうな。達観してるのに冷酷でも冷徹にもならないこの感じ。なんだろう、初めて言うかもしれない、「私が想う理想の宇多田ヒカル」だわ。この姿。

まだ色々と言葉が足りていない今の私にこのヒカルについて語るのは時期尚早なのかもしれない。だが確実に、ヒカルはヒカルになりつつある。少しずつ少しずつ、あぁそうか、「本領発揮の前兆」だこりの感じは。深呼吸してついてくぞ。