無意識日記々

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Precious "Time"

ヒカルの親友さんの使用している(していた)抗癌剤の名前は多分“Temozolomide”、テモゾロミドってヤツになるのかな。英語発音だったからちゃんと聞き取れてないんだけれども。商品名だと「テモダール」だとWikipediaには書いてある。

全くこんな名前は知らなかったのだけれど、耳にして最初に抱いた感想は『Time』と語感が似ているな、ということだった。似てるってか最初の子音2つがTとMで共通してるよねと。

つまり、仮タイトルで“Temozolomide”とつけて、この曲の名前を呼んでるうちに、長くて言いづらいとか慣れ親しんできたから愛称で呼ぼうとか、兎も角そのまま言わなくなっていった挙げ句最後に“Time”になっちゃったんじゃないのという疑惑が、ヒカルがこの錠剤の名前を言った瞬間に私の中で浮かんだのだ。例えば、“Temo”って呼んでたのが“Time”になったんじゃないかなぁとかね。

荒唐無稽な推理だが、実際の真偽はさておき、創作の過程とはなかなか一筋縄ではいかないというのが一般論なんだという事は踏まえておきたい。創作の動機と結果は必ずしも一致しない。特にヒカルは、今回も千葉くんとの会話で匂わせていたように、リズムトラックから曲作りを始める事が多い。この時点で曲の歌詞のテーマが決まっていなくても構わないのだ。

しかしながら、仮タイトルが親友の服用する抗癌剤の名前だったという事実は、かなり早い段階から歌詞のテーマを親友にまつわるものにしようとしていた事を示唆する。一方で、それが『時を戻す呪文』と結びついたのは、もしかしたら“Temozolomide”という「音」が切っ掛けだったのかもしれない、という話なのだ。こうやって『Time』の完成形の素晴らしさを実感している我々からしたら、この推理は“ありそうもないこと”だと感じるのが当然なのだが、創作中の「作りかけの状態」というのは、完成形がそこからは全く想像がつかないものだったりもする。それが歌詞となると尚更だ。言葉というのは、本来バラバラなものを繋がっていると勝手に看做して使うものなのだから。

だが、だからこそ楽曲の完成形というのは創作者の“本音”たりえる。或いはそれは、作り始める前には自身が気づいていなかった感情だったりするのかもしれない。寧ろ、それを知るために創作という過程は存在するとすら言える。

『Time』を作ってヒカルはまた変化した。恐らく今までのどの楽曲を完成させた時もそうであったように。今我々がインスタライブで接しているヒカルは、それに加えて『誰にも言わない』を完成させてまた変化したヒカルなのだ。明後日『誰にも言わない』を聴いて漸く、私たちは「今の宇多田ヒカル」に近づける。知ることが出来る。故に4日後のインスタライブ第5回は、本当に最新の楽曲(『誰にも言わない』)を知った上で今のヒカルに会える本当に貴重な時間となるだろう。イメージと現実が近接する。是非是非、LIVEで観たいものだな。「きせきのさつき」の締め括りに相応しい一時間と、なるだろう。