無意識日記々

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『誰にも言わない』は、目下ひとつのバージョンのみしか発表されていない。当たり前のようだが、宇多田ヒカル名義の新曲は複数のバージョンが用意される機会が結構多い。『Addicted To You』に『(Underwater Mix』と『(Up-in-heaven Mix)』の2つが用意されていたり、『DISTANCE』には『FINAL DISTANCE』があったり、『Flavor Of Life』は『(Ballad Version)』が先にリリースされたり、などなど。

今回の『誰にも言わない』は非常に神々しく、余りにも普通ではない楽曲だ。だが、『Passion』と時とは違い、最初っから多くの人に受け入れられるであろうパートを内包している。One way streetパートね。これが、大きな成長であるように思われる。

つまり、1曲の中に今自身が望まれるかなりの部分を盛り込めたのだ。その為、別バージョンを作る必要がなかった(それでも足りない部分は『Time』が担ってくれている)。『誰にも言わない』は、1曲だけでアルバム1枚分かという程の手応えを感じさせてくれている。

それは印象の話だが、実際に曲構成を眺めてみてもこの楽曲は、演奏時間が5分足らずであるにも関わらず非常に多彩なパートで彩られている。

非常に短絡的に曲構成を書き下すなら、

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になるだろうか。アルファベットはそれぞれ、

A:いくつもの〜/完璧な〜

B:一人で〜/過去から〜/罪を〜

C:I won't tell my friends 〜

D:Can you satisfy me ? 〜

E:One way srteet 照らす〜

に対応している。流石にここまで別個のメロディーを一個の楽曲に用意した事はなかったかもしれない。

更に、歌詞の半分近くが英語なのにも注目すべきだろう。恐らく、契約云々を超えて、シンプルにヒカルの頭の中の割合みたいなものが表現されているのではないか。インスタライブで見たように、ヒカルは英語圏の人と話す時のみならず、独り言を呟く時ですら英語を混ぜる。日本語と英語を行き来するのが極めて自然なのだ。そのバランスが戦後日本の商業音楽の西洋追随気質と同調しているのは歴史的必然か単なる偶然かはきっと本一冊書き下ろす羽目になるので議論しないことにするのだけれどもそれは兎も角、『誰にも言わない』は今の宇多田ヒカルの“全力”が込められた作品であり、結果的に「宇多田ヒカルらしさ」がこれまでになく表現された逸品に仕上がったといえるだろう。もっと言えば、『宇多田ヒカル』という存在を表現するための技術と経験の蓄積がやっと少しずつ実り始めたということなのかもしれない。

では今までの21年間は何だったのかと言うと、序章だよね。ここから、ヒカルが自分自身を表現する事に長ければ長けるほど、もっと更にとんでもない楽曲が生まれてくるのかもしれない。ここが最高到達点でも既に高過ぎる位なんだが、まだまだ視野は広がっていくんだろうな。全く果てしないぜ。