無意識日記々

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神偏えの揺らめき

『Passion - single version - 』の固有パート(『ずっと前に好きだった人〜』)は、どこか“ギアを入れて”挿入した感覚があった。元々『 - opening version - 』の時点で完結している楽曲だったのだからある意味では当然だ。その固有パートだけが前面に押し出されているような感覚があった訳である。

『誰にも言わない』でTVCMに使われている『One way street〜』のパートも、同じようにいちばん前面に押し出されているのは間違いないのだけれど『Passion - single version - 』の時のようなギアチェンジを余り感じさせない。曲構成の中で自然に生まれてきている感覚が強い。揺らめくように旋律と言葉を綴りながら、ふわりふわりと全てが抵抗なく染み渡っていく、あの感覚である。

故に、『Passion - single version - 』が歌詞にせよメロディにせよそれこそ聖域で生まれたものが下界に降りてくるようなそんなダイナミックな印象を与えていたのに対し、『誰にも言わない』は、神々しさと親しみやすさ、緊張と緩和、形而上学と日常生活がすぐ隣り合わせになっていて、ほんの少しのことでどちらにも揺れ落ちれる、そんな万華鏡の様な万能感を節々端々に湛えている。これを安直に成長とか進化と呼んでいいのかは少し躊躇われるけれど、今までとは異なるフェイズに足を踏み入れている事は、確かだろう。

力みがない。最後の『One way street 照らす月と歩いた 好きな歌口ずさみながら』はとても具体的ですぐに情景が浮かぶし、『感じたくないことも感じなきゃ何も感じられなくなるから』も、普段ヒカルがツイートや対談などで自然に口にしている一言だ。なので、ここの部分に親しみを持てるかどうかは長年のファンかどうかで別れるところなのだけれど、たとえそういう背景を知らなくともこの一言は普遍性をもって人々の心に響く。何気ない日記帳の端っこに記したような一言がするっと普遍に触るこの感覚こそが『誰にも言わない』の醍醐味のひとつだろう。気合いを入れてギアチェンジしなくても、呼吸するような自然さで抽象と具象、普遍と遍在を行き来出来るのが今のヒカルなのだ。その「今のヒカル」を楽曲として表現した『誰にも言わない』が、今のヒカルを愛する人間にとって愛さずにはいられない真のマスターピースとなるのはとても自然な流れである。日常の鼻歌の中にヒカルを感じられるようになるこれからの生活は、人生は、今までとは全く違う様相を呈する事になるだろう。