無意識日記々

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『Oh Yeah...』

サントリー天然水のCMの時点で『誰にも言わない』という楽曲は自分にとってインパクト抜群の歌だった。次のアルバムのタイトルトラックポジションだろうと即座に感じたくらいに。とはいえ、そこから後に聴き込んで気づいたこと、即ち最初に聴いた時には気づかなかった魅力に後から気付かされた部分もあったのだ。

最も顕著なのが、楽曲最後、4:14からラストまで続く『Oh Yeah...』のパートである。Apple Musicで閲覧している限りにおいては歌詞が表示されていなかったので、最初聴いた時はアドリブパートの骨格を提示した感じなのだろう程度に受け取っていた。しかしそれは、あたしがなまじっかついついライブを想定したがってしまう故の勘違いだった。このパート、ここだけで独立した魅力を放っているのよ。そうなのよ。

それに気付かされたのが、インスタライブの第5回、ヒカルが『誰にも言わない』を弾き語りで披露してくれた時だ。弾き語りとなると楽器陣に支えて貰えない為、元々フルバンドを想定して構成された楽曲である場合途中を省略したり簡略化したりして演奏するものなのだが、ヒカルはこの『Oh Yeah...』のパートを非常に拘りをもって歌っていた。その姿を見て、「嗚呼、確かにここ、いいじゃん!」となったのだ。

面白いもので、今までと耳に入ってくる音は全く同じなのにその時点から『Oh Yeah...』の印象がまるで変わった。如何にひとが音楽を聴く時に予め持っている知識が偏見として作用し易いかというのを示すわかりやすい例だった。勿論、知識のお陰で演奏者や作曲者の意図を即座に読み取れるケースも多いので知識はある事に越したことはないのだが、時にこうやって弊害として作用することもあるのだといういい教訓になった。今回の場合は「エンディングに歌詞のないパートがある場合そこはアアドリブベースなのだ」という中途半端な知識が邪魔をした。悔い。

それを踏まえると、以前この楽曲の構成を「ABBCABBBCCDDEE」だと解説したが、この『Oh Yeah...』のパートも併せて「ABBCABBBCCDDEEFF」だと書き直したくなったわ。それくらい、この『Oh Yeah...』のパートは『誰にも言わない』の構成上重要だ。いちばんシンプルでキャッチーなパートだしね。

こういうことがあるから、作曲者自らが演奏し歌う姿を披露するのは(今回はネットでだったけどね)非常に有益、有意義なのだ。ヒカルも、自分の作曲意図を人々により知らしめれるチャンスなのだと認識して今後も機会があればどんどんインスタライブで弾き語りを披露して欲しい。…と、自分の欲望丸出しで締め括っといていいかな今朝のこの日記?(笑)