無意識日記々

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ケイト・ブッシュと同系統。(言う勇気要るヤツ)

『Time』と『誰にも言わない』は、歌唱法も対照的だ。

『Time』は、まさにシンガー・宇多田ヒカルの真骨頂。高音から低音まで切なさの表現を極めた技術が満載である。いつもの細かいビブラートにいつもより更に多めに入れておりますのエアヴォイス、声を伸ばすも掠れさせるも自由自在、場面々々に合わせてダイナミックに歌い分けていく。泣き顔も笑顔も声の出し方ひとつで表し分ける、エモーショナルな、ヒカルの伝統的なスタイルだ。

一方、『誰にも言わない』は徹底して囁きスタイル、ウィスパリング・ヴォイスで統一されている。兎に角声を張らない。勿論、ヒカルも初期は声量に頼らない表現力が注目されていた訳だが、このウィスパーはそこから更に踏み込んでいて、全体に発声や感情の発露に抑制が掛かっている。もっと言えば、盛り上げる気が全く無い。ただ自然な流れで節回しに色気をつけていくのみだ。まわり道には色気がないじゃん。(ここではあんまり関係ないじゃん)

『Fantome』〜『初恋』〜『Laughter In The Dark Tour 2018』で、初期と比べると圧倒的に豊かになった声量を示していたヒカルが、『Face My Fears』『Time』というその成長した声量を活かす曲を続けて発表した挙句にこの静かな静かな節回しの『誰にも言わない』を投じてきた。それはいい意味でもそうじゃない意味でも戸惑う人を増やしたのではないかな。皆の感想が気になるところだ。

一聴した時の感想は、私の場合「ケイト・ブッシュみたいだな」だった。彼女も最初の若い頃は天使の高音と小悪魔が囁くかの低音の組み合わせで魅了する歌手とみられていたが、今や大ベテラン(今年でもう62歳になるのか)、呟くような歌い方でも説得力が違い過ぎる伝説的なヴォーカリストとなった。なおヒカルがTwitterでたった2人しかフォローしていない女性歌手のうちの1人である。もう1人はビョークだ。さもありなん。なんか、ああいう、超然とした囁き方に聞こえたのだヒカルの歌も。

ケイト・ブッシュといえば2005年にリリースされた「ARIAL」というアルバムに(もう15年前になるのか…)“Pi”という曲がありましてね。知らない人は驚くと思う、なんとこの曲、その名の通り「π(パイ)」、即ち円周率の数値を延々歌う歌なのだ(それだけじゃないけれど)。しかし恐るべきはケイト・ブッシュ、ただの数字の羅列をまるで秘密の呪文の如く神秘的に歌い上げる。技術も上等だが、それ以上に、この人が歌えば歌詞が無意味であってすら特別なものになりえる、そんな精髄を極めた歌唱法なのだ。

ヒカルも、何か、『誰にも言わない』での歌い方を通して、その超然とした領域に足を踏み入れ始めたように思う。それこそケイト・ブッシュビョークのようなね。だけどこの高みが「第一歩」なのだとすると、我々はこのあと数十年、とんでもない経験をする事になるかもしれぬ。意地でも生きねばの。

…生きねば、といえば、余談になるけれども、「風の谷のナウシカ」や「風立ちぬ」のキャッチコピーだわね。『誰にも言わない』のこういう歌い方を聴くとあたしゃいつも「もののけ姫」のシシガミ様を思い出すのよ(こちらのキャッチコピーは「生きろ。」だが)。「声出さへんやんけアイツ!」というのはもっともなんだけど、なんか、こう、“歌の目つき”が似てるような気がするんだよねぇ。通じるかな? 歌に目ぇあるんかいという感じやけども。で『Time』の方は…あの激情ぶりはやっぱりエボシ御前かな………。…なんでPop Songの歌い方を四半世紀前の映画の登場人物で例えてるんやろ私…。余談でしたとさ。