無意識日記々

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「I won't tell ! わかりようがないわっ!」

この日記で『真夏の通り雨』が母への哀悼歌であると共に不倫の歌でもあると指摘した時は心底ガッカリされていた気がするが、『誰にも言わない』はもう最初から不倫の歌全開な筈なのにあんまりガッカリされてない気がするのは何故なんだぜ。

『真夏の〜』に関しては後日ヒカルから訂正があり、「若い頃の事を思い出していた」話ということだった。現在進行形で他に付き合ってる人が居るのではなく、昔付き合っていた人のことを頭の中で思い出していた、というね。確かにそれなら不倫じゃないわな。内心の自由もまた保つべき倫理のひとつの筈だから。(この国ではそれすら保証されてない感じだけど。輸入概念だからかね。)

一方、『誰にも言わない』はもうあんまり言い訳しなくていいよねこれあからさまにイケナイことだよね、という雰囲気。タイトルからして他の人たちには秘密にする事だと言い切ってはるのだもの。

英語の部分は「心配されちゃうから友達たちには言わない。何が起きても誰も責めない。(自分で責任を取るよ、と)」と歌っているし、何より、『One way street 照らす月と歩いた』、ってそれ今夜を共にした人と一緒に帰ってないからね? 一人で歩く事を『月と歩いた』って表現するところが詩的で堪らないんだが兎に角この歌の主人公は2人で連れ立って家路につくのが叶わない相手と情事に耽っていたというね。朝帰りですらない。そんな事したら疑われるかバレるかしちゃうもんね。その日のうちに帰る家が、その相手以外の人とのお家が別にあるから一方通行の道を一人で歩いて帰ってるのよ。二時間だけの夜のバカンスから。(なんだそりゃ)

英語の部分では「あたしのこと満足させられるの? 何が欲しいかわかるわよね? あなたのカラダよ。」と官能小説エロゲエロマンガブルーフィルムまっしぐらなセリフをストレートに歌う。本当にどこまでも身も蓋も無く世俗に塗れた一場面を歌った歌なのだ。

なのに宇多田ヒカルのレパートリーの中でも最も神聖な雰囲気が大きいのは何故なのだ??? ある意味、『Passion/Sanctuary』以上に人の心の聖域を表現している。あの透明感溢れるサウンドをして『情熱』と名付けたセンスが、15年の時を経て更に、もっと身近で世俗的で肉体的な主題と、神聖で普遍的で形而上学的な主題を融合する事に、成功している。まるで最初から本来そうであったかのように、しれっと。悪びれる事も力みかえることもなく、極々自然にこの領域に達している。ますます、意味がわからない歌である。やはり、『I won't tell』という英語のタイトルは「わかりようがないわっ!」というこちらの心の叫びなのかもわからない。