無意識日記々

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『カレシ』の話をするつもりが余談だらけに。

『カレシ』という単語について。まず『Time』という楽曲の冒頭から現れるという“超高待遇”なんだよね。歌詞を聞き取り始めた人間なら必ず記憶に残るポジション。

そして、カタカナによる表記。これについては、取り扱いが難しい。ヒカルにとって“作品”なのは音声トラックの方であって画面などに表示される視覚的な文字の羅列の方ではない。ではない、のだが、一方でその歌詞の表記にもこだわりをもってきていたのも事実。『光』のシングル盤などは(その時点で)初めての漢字表記のシングル表題曲ということもありブックレットが縦書きだったり(その所為でブックレットが逆開きになってプラケースにしまう時に失敗しがちでしたねぇ)、『ULTRA BLUE』ではフォントを散りばめて余韻を演出したり……って、こういうの、ダウンロード世代やストリーミング世代は全然知らないおそれがあるんだな……お金に余裕のある人は昔のCDを(中古盤でもいいから……とか言うのは印税入らないからよくないのだけども)買ってみるのもいいかもね。閑話休題。兎に角、音源をメインの作品としているヒカルさんにも歌詞表記のこだわりがあるのだ。

彼氏の事をカタカナで『カレシ』としているのは、大方の推測通り「社会的に決められた役割に過ぎない」ポジションに対する感情を込めた書き方なのだろう。キツく言えば揶揄とか皮肉とかになるわな。『日曜の朝』でも冒頭から『彼氏だとか彼女だとか呼び合わない方が僕は好きだ』と告げるヒカルさんだから、その、世間の圧力でクリスマスまでに相手を見つけないといけないからみたいな理由で出来上がる関係に対して余り興味が無いのだろう。そのものずばり『クリスマスまで待たせないで』と『Can't Wait Til Christmas』でも歌っているしね。

ただ、これは、歌を聴いてるだけの人には関係ない。ラジオから流れてくるのを聴く人、ストリーミングのレコメンドで知った人などは、大体において歌詞の文字列なんて目にしない訳で、そこは伝わらなくてもよいと思っている節がある。もっと言えば、敢えて歌詞をチェックしようとするような熱心な人に伝わればいいと考えているのかもしれない。ここらへん、例えば『Easy Breezy』がリスナーからの注目度の軽重によって聞こえてくる歌詞のストーリーのレイヤーを違えてくれるように作られていた事なんかを思い出せば、ヒカルがこういった手法について手練手管だというのは納得のいくところだろう。

そういった皮肉を利かせた表記の示す含意を伴って『Time』の冒頭の『カレシ』は歌われている。そこを踏まえた上でまた次回。話が全く進んでいない(汗)。