無意識日記々

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ツアー初日の気分を回顧

さて下半期スタート。7月1日といえば20年前に『Bohemian Summer 2000』、14年前に『UTADA UNITED 2006』という全国ツアーがそれぞれスタートした日なので日付を見ただけで何かそわそわ落ち着かない気分になる。

今や安定感抜群なので隔世の感だが、最初のツアーの時は「クラブツアーもした事ない子がいきなりアリーナツアーだなんて」という心配があったし、二度目の時は「今度こそ全公演完遂を」と願わずには居られなかったし、ぶっちゃけ期待と同じくらい不安と心配が渦巻いていた。アーティストからみりゃ失礼極まりないんだけれども。

今年は流石にライブは無理だろう。オンラインは別として。来年ですら危うい。業界からするとコンサート活動自体は今秋から徐々に復活する腹積もりのようだが、新規に大規模な全国ツアーとなると会場を押さえる所からだから一年とか二年とか前から計画実行しないといけない訳で、例えば今日から準備しても来年はとても無理。残念だが再来年以降に期待するしかないだろう。

幸い、というわけでもないが、『Laughter In The Dark Tour 2018』のお陰で今のところ「ライブで歌い損ねてしまった歌」が大量に控えている感じもしない。勿論、『桜流し』も『荒野の狼』も『夕凪』も『大空で抱きしめて』も歌ってはいないんだけと、アルバムを通過したという事で前に進んでいけてる気はする。

やっぱり、アルバムといっても録音音源。最初からスタジオ・アーティストだと公言しているなら別だが、生で歌う姿勢をデビュー年から見せ続けている人なだけに、ライブ・バージョンが聴けてやっと次への展望が拓ける、という感触も一方である訳だ。そうなると『ヒカルの5』や『WILD LIFE』のような“局所公演”は全国的にどう捉えられているのかという問題も出てくるのだけど、映像商品のリリースが毎回あるので最低限の保証はあるという捉え方をしておきたい。

どの公演もどのツアーも、「行きたくても行けなかった人」が少なからず(多過ぎる程に)在る。その人たちをどこかで満足させる迄、ツアー生活は続いていくんじゃないかな。ヒカルとしては、音楽職人として家業を継いだ手前、顧客のニーズには凡そ確り応えていくのが譲れない線なんじゃないかと勝手に思っているのだけど、そこはそれ、神のみぞ知るという事にしておいて欲しい。