無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

部屋の変遷

自宅隔離のせいではあるんだけど、自宅に機材を揃え、自宅から生配信をし、自宅でミュージックビデオの撮影までするとなるとこれなんだか昔ながらのニコ動の歌い手さんみたいでなんというか時代が逆戻りしててまたこれも時を戻す呪文なのかとつい笑みが溢れてしまう。

実際、元々ニコ動とかに居た米津玄師がブレイクしてメジャーの真ん中に居るのが令和の前提なので最早そういったルーツ自体は認知されているのかもしれないが、CDというアナクロメディアとタイアップを駆使したマスメディアが作り上げた工業的な音楽産業最後の大花火だった宇多田ヒカルが理由は兎も角「おうちでぜんぶ」を実践してる姿というのはなんとも面映ゆい。

とはいえ、既述の通り18年前の『光』のMVは(PVだったけどね当時の呼称は)自宅を模したものだったし、10年前の『Goodbye Happiness』だって「踊ってみた」のパロディだし、事態自体が目新しい訳でもなく。『In My Room』な世界観もずっと変わらずここまで来ていて、ただ変わったのは『あなた』にあるように『この部屋にいたい』と願う理由が息子の未来を思ってのことになった点か。

そのイメージがあるから、『Grinding』の一枚は息子が撮影したものだという解釈が自然に出てきた。コメント欄をみると何人もいらっしゃる。これは勘違いとかそういうのではなく長年の『In My Room』な価値観(『For You』とか『WINGS』とか)から『あなた』に至り、インスタライブでの微笑ま息子エピソードの数々をあの部屋から聞かされてという流れの中で、あの部屋でこういう表情をして写真に収まるのは彼の存在があるからだという帰結が極々自然に感じられるからだ。昔から随分メッセで身近さを感じさせてくれていたけれど、こうやって部屋を見せてくれるようになったことで、届けられる歌の生まれる場所のイメージがとても強くなった。部屋が歌詞のイメージを補強し、歌詞が部屋に物語を与える。今後息子が写真を撮る度にその視点が上がっていくのを楽しみにしながら、この部屋の景色が満載な『Time』のミュージックビデオを待つことにしようかな。