無意識日記々

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市場を支える家内制手工業

週末はヒカルが『Time』MVの裏側をInstagramに投稿してリアクションが盛り上がった。昔はDVDシングルやビデオ・クリップ集にメイキング映像が収められていて、それが購買意欲を促進していたんだが、今はそれがないからねぇ。本来なら商品化される素材をこうやってフリーにアクセスさせているのだから太っ腹だ。こっちとしては「もっと儲けてくれていいんですよ!?」という気分だが、気前がいいねぇ。

それはヒカルの気持ちもそうなのだろうが、現行、サブスク時代に必要なのは注目度を集めること、即ちユーザーの時間を貰うことであり、その為の撒き餌は幾つあっても足りないものだ。梶さんはきっといつもファンサービスとコストのバランスに悩んできただろうし今も悩んでいるだろうけど、ファンクラブがない分無料のWebサービスを強めてきていた宇多田ヒカルの歴史からすると、実は今の状況の方が肌に馴染んでいるかもしれない。

ただ、ヒカルには、この時代に即してもうひとつ役割がある。「サブスク時代はユーザーの消費時間の奪い合い」なのだが、それは定額配信がゼロサムゲームだからだ。決まった配信収入を多数のプレイヤーが奪い合う構図になる。しかし、配信収入が定額とみなせるのは加入者数が一定の場合だ。宇多田ヒカルというネームバリューに期待されるのは、そもそも、その加入者自体を増やす事だろう。

実際、一昨年12月に本格ストリーミング参入した際には大きな話題になった……といっても、ここを読みに来ているようなリスナーは大体過去音源を購入していたろうからそのテンションは実感から遠かったかもしれない。しかし、ライトユーザー、新しいファン、若いファンにとっては別だったろう、かな。

また、Netflixで『Laughter In The Dark Tour 2018』を公開した時は、Netflixユーザーが増えることが期待された。読者の中にもそのままNetflixユーザーになった方々がいらっしゃるのではないだろうか。

一方、その後の予測不可能だったqurantine生活で全世界的にNetflixユーザーが増えたので、そこからヒカルのライブを観てくれた人も出てきていたようだ。やはり定額配信の消費層は数が多いのだろうな。

いずれにせよ、宇多田ヒカル知名度は、時間消費の中で「音楽鑑賞」そのものの割合を増やせる可能性を持っている。何かにつけてあれもこれも商品化してみせて欲しいと願うのは私を含めた「財布に紐がそもそも無い」人種のサガなのだが、ヒカルはもっと大局的な役割を期待されている。細かいリリースで信者相手に小銭稼ぎしていると思われるのは得策ではない。普段は大盤振る舞いをしておいて、アルバムとツアーでどん!と収益をあげるような、そんなスタイルを貫くべきなのだろう。こちらとしては歯痒いが、そこらへんの事情を汲むのも長年の人間の意識のありようのひとつなのではないかなと自宅で頑張るヒカルとみなさんの姿をみながら思うのでありましたとさ。