無意識日記々

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十八年前の八月と今の八月。

ライブテイク選りすぐり番組がこのあと配信される。ヒカルの場合、過去の多くのライブにおいて需要が供給を大きく上回っていて、「行ったことない人」がいつも最大多数になっていて、あんまり「思い出話に花が咲く」という風にならない気がしないでもない。

でも、そもそも22年もやってきた人の場合、現時点で、当時のチケット当選確率云々以前に「まだファンじゃなかった」「まだ生まれてなかった」というファンが沢山ついているものなので、となると別にそれで自然なのかなと思ったりも。

いずれにせよまぁ楽しい時間を過ごしましょうぜ。

さて今日で八月も終わり。となるとやはり『プレイ・ボール』が聴きたくなるのが宇多田ファンなのだが、とうにも昨今、この歌の歌詞が古びるような時世になってきているような気がしててな。

いや勿論今年は感染症禍で特異な夏なのだけど、それを差し引いてもね。

まず『流行りの歌が私かきたてる』という歌詞が出てくるが、昨今そうそう流行りの歌がない。そんな時代が来るとは2002年当時は思いもよらなかった。時代は変わった。

次に『九回の裏で魅せるピッチャーのように』というが、今のご時世若人達の肩を守ろうということで野球が九回というルールが揺らぎ始めている。タイブレークも普通にやっているし、このままだとプロ野球はともかく中高の野球は七回までの攻防になるかもしれない。八月の野球といえばやっぱり高校野球なので、「九回の裏」が過去のものになりこの歌がレトロ化する可能性が出てきているのだ。

更に、これが決定的なのだが、『夏も終わりの気配漂う八月末』というフレーズの説得力が激減した。現在八月末日だが、今日までに三週間連続猛暑日を記録する地域があるなどそれはもう暑さが超絶絶好調で。まるで夏の終わりの気配がやってこない。いや勿論、耳をすませばヒグラシが鳴く通りがあったりして着実に秋の足音は聞こえてきてはいるのだが、夏の終わりはまだまだ見えてこないというのが実感なのである。18年前も既に夏が暑くなり始めてたけど、幾ら何でもここまでじゃあなかった。

……だなんてこと言ってますが。そもそもの話として、ヒカルさんて歌詞が古びれるの全く気にしてないのよねぇ。『Automatic』からして『受話器』とか平気で使ってるし、『computer screen』が『I feel so warm』とか、タッチスクリーンが基本の現代では意味がわからないかもしれない。昔のディスプレイはブラウン管で、触ると暖かかったのですよ…。

他にも『Movin' on without you』の『枕元のPHS』とか『This One (Crying Like A Child)』の『BlackBerry』とかいつも例に挙げてる歌詞がありますわな。こういうのも何度もその都度説明していかないといけないのかもしれませんな。

という訳で、あと10年20年も経てばこの『プレイ・ボール』は「今年の夏を味わう」曲ではなくて「昔の夏を思い出す」曲に変化しているのかも、しれません。それでもやっぱりいい曲のままでしょーけどね。未来がどうなろうと、この歌が齎してくれる詩情自体には変わりがありませんぜ……。