無意識日記々

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時効と言うのもまた不適切だが。

14年前の今日は『UTADA UNITED 2006』の最終日だった。当日当地に居合わせたが、大団円に相応しいグレイトな出来栄えだった。

しかしそこに至る二ヶ月余りに紆余曲折があった事は当時を知る者たち皆が知る所。後に「手術寸前まで行った」旨インタビューで告白するほどにヒカルは喉を酷使し続け、故に公演毎のパフォーマンスに差異が出る結果となった。DVDになったさいたま公演もまた槍玉に上がったステージのうちのひとつだった。

当時についての推測を勝手に述べるのはどれくらい経ってからがいいのだろう。万が一当事者が目にしても感情的にならず「そんなこともあったね」で済ませられる位に落ち着けるまでに要する時間。うーん、わからないなー。じゃあまぁ書いちゃうか。

ヒカルの喉もそうなのだが、この時のバンドの演奏の出来の上下が凄かったのですよ。あたしが観たのは2006年7月8日9日の静岡公演、8月18日のさいたま公演、9月10日の東京公演だったのだが、特に静岡の二日間は演奏が壊滅的でね。ステージに立ってる皆さんはクレジットされた方々のソックリさんだったんじゃないかと未だに夢想するほど。

これが二ヶ月経って9月10日になると見違えるほどよくなっていて。さいたまでは無難な出来だったし、恐らくバンドの演奏は二ヶ月掛けてどんどんとよくなっていったのではないかと推察された。ヒカルの方は喉の調子が不安定で、ある夜はよくてある夜は、みたいな感じで一定していなかったし、順々によくなっていったというのでもなかったようだ。実際、自分の観た静岡では8日の出来が宜しくなく、明けて9日は唐突に見違えるように素晴らしくなっていたので、本人ですら蓋を開けてみるまでわからない状態だったのかもしれない。

で、勝手に妄想するのだ。UTADA UNITEDのバンドチームは、結成当初、不和とまではいかないまでもある程度の緊張状態にあったのではないかと。演奏の出来が悪いから不機嫌が蔓延したのか、そもそも反りが合わないから演奏が揃わなかったのかは鶏が先か卵が先かという感じだが、そこらへんの緊張状態がヒカルの喉のコンディションに影響を及ぼしていた可能性をちょっと考えてしまったのな。ただでさえ繊細な神経をしたヒカル(でないとあんな繊細な歌は歌えんよ)、周囲のピリピリムードがストレスになっていたのではないかなと。で、終盤になるにつれ、バンドメンバーたちが仲良くなったか演奏が揃い始めたかで(これもまた鶏が先か卵が先かプロだとわかりづらいわな)、ヒカルの喉の状態も安定していったのではないかなと。まーここらへんは4公演しか観てない私よりも10公演観て周囲から「馬鹿じゃないの!?」と祝福された青空侍先生にでも聞いてみた方がいい話かもしれませんが。

あクマでも推測であり妄想である。しかし、14年前私がそう捉えていたのは事実だ。当時はこの日記にもそういう話は書こうと思わなかったし。誤解だとしたらとんでもなく失礼な話だしな。いや失礼なのは14年経った今も変わらないが、なんだろう、こういうのってどこがで書き残しておかないと、無意味に感情が燻って余りいい結果を導かない気がするので、今回こうやって書き下してみた。

そう考えると、リハーサルの予定だったのが急遽本公演になったホノルルの夜がとても暖かい雰囲気のステージだった事や、たった二夜しかないのに切れ味が鋭かった『WILD LIFE』や、まだ始まって二日目だったというのにエンジン全開爆裂なクォリティの歌唱を聴かせた『Laughter In The Dark Tour 2018』11月7日の公演など、バンドメンバーの仲がよかったんだろうなぁとついつい思ってしまってな。そういう比較をするのは趣味が悪いと重々承知だが、技術の巧拙より、何週間も一緒に過ごす相性を見極める方が、ツアー生活では大事なんだなと。何より、ヒカルが喉にメスを入れずに済んで、本当に良かったです。そんな14年前の思い出でしたとさ。