無意識日記々

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『あなた』の前で言いたいことを歌詞に書いて

ヒカルが、特に人間活動中にどんな動きをしていたかはよくわかっていない。わかられてもそれはそれで困るんだけど、エネルギー問題や熊害問題、精神疾病者への支援など、時折ヒントとなるツイートは散発されていた。災害復興ボランティアなんかについては、遭遇した方々からの情報もあったかな。

有名人ともなるとその知名度を活かしてスポンサーを連れてくるのが基本路線だがヒカルはそういう事をしてこず。特に計算はしていないだろうが、結果的にその線引きがアーティストとしてのレピュテーションを高めている。

どうしても人は、歌を歌う人の人が気になる。歌は歌なのだけれど、人が歌うならということで。何やら色々チラついてしまうと冷める。ヒカルはそこらへん、想像力で補完するしかないのでうまくいってるというか。

アメリカのポップソングはメッセージ性が強く、カントリーなどは喧嘩売ってるのかというのも(伝統的に)あったりするが、日本ではそういうのは「流行らない」と言われて半世紀くらいが過ぎた。実際、そういう歌は流行らないのが鉄板なので、流行らない事自体は最早一時の流行りごとではなくなっている。文化として、歌詞を現実の問題と結び付けられる事に辟易する何かがあるのだろう。

メッセージ性の強い歌がないわけではなく、単純に広がらない。そこらへんを弁えるのは結構難しい。寧ろドライにポップソングを量産するタイプにはラクかもしれないが。

例えばヒカルの『あなた』にはご存知『戦争の始まりを知らせる放送もアクティヴィストの足音も…』の一節がある。ここでは物凄く言いたい事がマグマのように溜まっている匂いがプンプンするけれど、既の所で踏みとどまった感。ある意味、ここらへんがボーダーラインな気がする。これ以上いくと忌避感のようなものが増え始めるというか。

思うにヒカルは、そういう自分個人としてのメッセージを、特に最近、かなり抑えながら活動しているようにも思える。我慢というと少し違うかもしれない。自分のやってること、自分のやりたいことの為にどうすればいいかを見極めている最中だとでもいうか。

コンピレーションでもファンピクでも一曲目を飾るという“近年の代表曲”の座に在るその『あなた』がギリギリのラインをついた歌詞を持っているというのは何とも興味深いものだ。もしかしたら世の中には「言いたい事は沢山あるけど言ったら色々煩わしいから言えない」と思っている人が沢山いるのかな。ボーダーラインギリギリの歌詞がそこらへんの共感まで喚起しているのだとすれば、本来ならこういう歌こそ大衆の歌、ポピュラー・ソングとして持て囃されて欲しいところですわね。来週の地上波テレビ、金曜ロードショーで「DESTINY 鎌倉ものがたり」が放送されるらしいが、出来れば『あなた』まで流れて欲しいわねぇ。色々ともったいない、ものね。