無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

旋律に 彫られた言葉 時を超え

漫画『ONE PIECE』に「ポーネグリフ」と呼ばれる石が出てくるのな。800年以上前に作られたもので、古代文字が彫ってある。非常に堅固で、爆薬でも傷つけることは出来ない、という設定。

本読みにとってこれは憧れでねぇ。言葉を時と処を越えてどこまでも伝えていく為にこういうやり方が出来たらどんなにいいか。

現実には「本」というのはまずひとつの答えで。特に写本や印刷によって複製し続ける所が生物っぽくてよいやね。ポーネグリフはそれ単独でずっと死なず滅ばず、何百年も言葉を伝え続ける。なお作中では古代文字を直接読める人は一人しか生きてないんだけども。余談だらけだな。

「歌」というのも、言葉を時と処を越えて伝えられる一つだ。ポーネグリフは石に文字を彫ってあるが、歌はメロディに言葉を刻んである。メロディは音なので、すぐに空気に溶けて無くなるが、印象を与えて記憶に残り、誰かが口遊めばまた誰かに伝わっていく。楽譜やMP3が発明されるまで、歌はそうやって口承で言葉を未来に繋いできた。死なないポーネグリフよりどっちかというと複製を続けて生きながらえる本に近いやね。歌い継がれるうちにエラーが蓄積されて変質していくのはより生物っぽいしな。

21世紀になって、言葉を伝えたり残したりするのにそんなに手際は要らなくなった。デジタルにしてクラウドとローカルそれぞれに保存すればほぼ大丈夫。世界大戦が起きて文明が破壊されない限りはずっと伝え残せていくだろう。ポーネグリフは大戦が起ころうとも生き残る寓話として機能しているんだけれども。

なんでこんな話をしてるかというと、ヒカルが昔『ぼくはくま』を『最高傑作かも』と言ったのは、こういう原始的な歌としての生命力がいちばん際立っていたからじゃないのかなとふと思ったので。先程歌が伝わるには「印象を与えて、記憶に残り、誰かが口遊む」事が大事だと書いたが、この3点セットの総合得点がいちばん強いのが『ぼくはくま』なんではないかなと。人が人を生み人と繋がり生きていく以上この歌は歌い継がれていけるのではないかという予感をヒカルに齎したのではないかなと。将来世界大戦が起こっても(起こしちゃならんがな)口承で伝わるヒカルの歌ならば『ぼくはくま』なのだろうと。それならポーネグリフより長生きするかもしれない。ポーネグリフは文字が読める人が居なくなればただの石塊になってしまう(かどうかは尾田栄一郎のことだから今後の展開を見守らなければならないわな)が、日本語が滅んでも『ぼくはくま』のメロディは、なんらかの言葉を未来へと運んでいくだろう。そこまで視えた上での『最高傑作かも』発言ならこれはこの上なくロマンティックな評価なのかもわからない。