無意識日記々

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歌う母娘、九月末の情景。

15年前の今日9月28日は『Be My Last』の発売日だったが、4年前の今日9月28日はアルバム『Fantome』の発売日だった。

ご存知の通り『Fantome』は母に捧げたアルバムだ。『かあさんどうして 育てたものまで 自分でこわさなきゃ ならない日が来るの』という15年前の悲痛な歌い出しがその11年後にまさにそのままアルバムのテーマとなったような、ヒカルにとって途轍も無く重いアルバムだった。

『Be My Last』は既述の通り映画『春の雪』の主題歌として書かれたが、同時にヒカルには大変珍しいギターで曲作りが行われた曲だった。当時のインターネットライブではヒカルがギターによる弾き語りを披露している。

その時のスタイルはロングヘアで黒づくめ。そしてギターを片手に─となれば、その姿はまるでデビュー当時の藤圭子。「新宿の女」のシングル盤のジャケットがまさにその格好だったよな。こちらは1969年9月25日の発売だ。こんなに発売日が近いのは偶然だったのだろうか。

ギターを掻き鳴らしながら熱唱するヒカル。確かに、『Be My Last』は「怨歌」と呼ばれかねない重々しいバラードで、もし藤圭子が歌っていたら大変な事になっていただろうなと想像させる楽曲だ。あのドスの効いた声で……想像してみて欲しい。

最早それは叶わないが、今後ヒカルが『Be My Last』を歌うことはあるだろう。こちらも、想像してみて欲しい。『Laughter In The Dark Tour 2018』のアイランドステージで『Fantome』からの『真夏の通り雨』や『花束を君に』を歌ったように、漆黒の虚空に一人浮かび上がり『Be My Last』を歌うヒカルの姿を。こちらもまた、今の歌唱力でこの歌を歌えば大変な事になるだろう事は容易に想像出来る。凄い親子だねぇ。

ある意味、『Be My Last』は『Fantome』の作風の先駆けだったのだ。この曲で学んだものが無ければ『桜流し』は生まれ得なかっただろう。あとは勿論『SAKURAドロップス』も重要だけどね。『かあさんどうして』から始まる冒頭の3行で言いたい事を言い尽くしたのでそこからは歌詞があまり埋まってない、少々変わった構成の楽曲だが、未来に生じる慟哭と嗚咽の前奏曲だったのだと今になって解釈すると不思議と腑に落ちてしまう。『Single Collection Vol.1』の表紙詩に書かれている通り、この歌もまた自己予言的な歌だったのかもしれない。

しかし、どれも過ぎた事だ。アルバム『初恋』等を経てヒカルは更なる境地へ踏み込もうとしている。その過ぎた事がこうして克明にきっちり記録されていつでも耳を傾けられるようになっているから、過去の曲を未来からこうやって再解釈出来るのだ。プロセスを形にして発表するという行為は、尊い。この一世一代の歌手と同時代を生きている事の果てしなさを改めて感じ入るよ。