無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

いろいろほどほど。

今年はメンタル勝負になってるねぇ。

こういう時、音楽を沢山知ってるとちょっといい。

「食」をどうするか調べ続けていくと結局「色々程々」、つまり、なるべく多くの食材を満遍なく食べ過ぎない程度に食べるのがいちばんいいのだなという結論に行き着く。生物の身体はかなり洗練されていて、我々が意識する入力はシンプルで済むように出来ているのだ。こういう場合はまさに「下手な考え休むに似たり」で、「色々程々」さえ心掛けていればそれなりに健康でいられる。

音楽を心の栄養にできるタイプの人もまた同じで、これまた「色々程々」がいい。出来るだけ多様な音楽を食傷にならない程度に聴いていくのがいちばんメンタルの安定に貢献する。根拠は無い。ただの経験則だ。

ところが、商業音楽、即ちプッシュ型の供給はどうにもそこが偏りがちだ。音楽性の幅が足りない。少し深堀りすればそれはもう人の数だけ音楽がある訳で。

「勝ち馬に乗るタイプ」が多い事がこれの最大の要因だが、他にも、音楽を「恋愛型」に捉えている点が大きいように思う。

忠誠心。聞こえはいいが、これが過ぎると偏る。音楽消費を煽る際、ひとつのアーティストやバンドやアイドルに注力するタイプの消費が励行されている。追っかけってやつですね。

だが、心の栄養的にはもっと音楽を「食事型」に消費するスタイルも意識していった方がいいかなと。昨日ラーメンを食べたから今日もラーメンを食べなくちゃいけない、それがラーメンに対する忠誠心だ……というふうに考えるのはほんの一部のラーメン道を求道する人たちの考え方で、殆どの人は「昨日はラーメンを食べたから今日は違うものを食べよう」となるはずだ。ところが、商業音楽だとなかなかこうはいかない状況が目立つ。他のに手を出すと「浮気だ」と謗られる。音楽消費を恋愛型で捉えてる所為だろう。

ヒカルさんはここのところを「食文化型」でいって欲しいと願っている珍しいタイプのアーティストだ。恋愛型の方が忠誠心に訴えてアピールすることが出来るのに、そうはしない。「曲ごとに好きになってくれればいい」という考え方だ。極めて食事的である。今回の新メニューはイマイチだなー、と思ったら他のお店に行ってくれ、というノリだわね。

そして、そういう態度だからヒカルの曲の曲調は多彩なのだ。常に曲ごとで、過去の実績に対する忠誠を気にする必要が無いから明るい曲も暗い曲も、悲しい曲も楽しい曲もある。総じて切ないけれど。

そんななので、逆説的だが、宇多田ヒカルUtadaの現存する音源を総て網羅していれば、かなりの精神状態に対応することができるようになっている。宇多田ヒカル一人聴いていれば結構豊かな食生活、もとい、音生活が送れるようになるだろう。彼女に恋をしていれば、我々の心の健康増進には大いなるプラスになるのだった。昨今の世情は辛いものがあるが、それに寄り添ってくれる歌はヒカルのレパートリーに幾つもある。あたしがオススメするのは『WINGS』とか『日曜の朝』とか『パクチーの唄』とかだが、こればっかりは人の嗜好があるから一概には言えなくて、例えば逆に『Dirty Desire』や『The Workout』でハジけてモヤモヤを吹っ飛ばす!という人も居るだろう。そういう風に色んな人の嗜好に合わせた幅広い楽曲がヒカル&Utadaのレパートリーには揃っている。「しばらく聴いてないな」と思うアルバムがあったら、試しに引っ張り出して聴いてみたら案外今の心境とシンクロしているかもしれないよ。いろいろほどほどにお試しあれ。