初めて『Time』をフルコーラスで聴いた時、多くの人が『逃したチャンスが私に与えたものは案外大きい〜』のパートが出てきて吃驚したかと思う。冒頭からと同じメインテーマ・フレーズを奏でながらもまるで違うメロディ、まるで違う歌詞が始まるというなかなかに心憎い展開だった。
ほいでですよ。ここを歌うヒカルって、私の中では笑っているイメージになるのよね。それまで切なさやら狂おしさやら戸惑いやら悲しさやらを感じさせる曲調で、ヒカルの歌ってる顔も眉根を顰めているような雰囲気だったのが、ここでは少し笑んでいるというか、やんわり笑顔になっているような。
そういう印象を与える為の手法として、ひとつに『歌詞の語尾を揃える』というのがあるんですよ。
『Time』という楽曲の歌詞に於いては、基本的にメロディが盛り上がれば盛り上がるほど語尾がオの段、O(オー)の母音になっていくという傾向、特徴がある。
『〜打たれて泣く私を』
『〜笑わせられるの?』
『いつも』
『〜言えなかった、好きだと』
『時を』『戻す呪文を』
『胸に今日も』『Go』
『〜収まる二人じゃないのよ』
『(そゆことそゆことそゆこと)』
『〜泣くあなたを』
『〜only oneである幸せよ』
『だけど』
『〜言えなかった、好きだと』
『時を』『戻す呪文を』
『胸に今日も』『Go』
『ずっと』
『〜聞けなかった、気持ちを』
『誰を』『守る嘘を』
『ついていたの?』
語尾はそれぞれ「を・の・も・と・を・を・も・Go・を・と・を・よ・ど・と・を・を・も・Go・と・を・を・の」だ。
─ここまで揃ってると壮観だな。恐らく、この曲調とこのメロディで語尾をオの段にすると、慟哭のトーンが強まる効果があるのだと思われる。感情の悲嘆度が増すというか。これをヒカルは確信的にやっている。
ところが、一転次のパートでは語尾をイの段で揃えてくるのだ。総て引用してしまおう。
『逃したチャンスが私に』
『与えたものは案外大きい』
『溢した水はグラスに』
『返らない』『返らない』
『出会った頃の二人に』
『教えてあげたくなるくらい』
『あの頃より私たち』
『魅力的』『魅力的』
もうご覧のように、「に・い・に・い・い・に・い・ち・き・き」と、総て語尾がイの段になっている。勿論、ヒカルが意識的に揃えたのだろう。
で。物凄くシンプルな話なのだが、口を「イ」の形にすると「ニッ」と笑った顔になる。笑顔で写真に写る時に「Hi, Cheese!」って言うアレだわな。なお日本語で「ハイ、チーズ!」と真面目に言ってしまうと「う」の段になりひょっとこ顔で写真に収まる事になる。英語だからこそ「イー」の顔になるのよねコレ。それはさておき。
この「イの段攻め」によって、リスナーは(というか私は)、ヒカルが笑顔でこのパートを歌っているようなイメージを持つ訳だ。実際、ここでは主人公が自信を持って自分たちのことを魅力的と断ずる場面なのだから笑顔であるのが自然なんだよね。そこらへんの効果を狙って音韻を配した上でちゃんと楽曲の構成上自然で且つひとつの文章として成り立っている歌詞を書くヒカルの手腕は、日本語の歌詞を書いて23年、ますます熟練の域に達していると言えるだろう。何しろ、歌詞の音韻でリスナーに歌い手の表情を想像させてきてるのだから。全く以て作詞職人による卓抜した職人芸の煌めきには溜息しか出ませんわ。ふはーっ。