無意識日記々

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昭和歌謡最大の巨人逝く

筒美京平が亡くなったのか。また物凄い超大物が逝ったものだ。謹んでお悔やみ申し上げます。

彼の名前は聞いたことがなくても彼の書いた曲は日本に10年以上住んでれば必ず聴いた事がある筈だと断言できてしまうほど長年に亘ってありとあらゆる名曲を書き続けてきた人だ。彼の名前を知っていても毎年「あれ、この曲も筒美京平だったの!?」と驚かされるほどに何より数を誇った。どの曲がどうというのはもうWikipedia見てとしか言えない。あれもこれもそれもどれもあちらもこちらもそちらもどちらもみんなみんなみんなみんな筒美京平の作曲なのだ。20世紀後半日本の昭和歌謡最大の巨人だった事は疑いがないだろう。

こういう、質も量も圧倒的な作曲家というのは本当に滅多に居ない。あの多作を窮めた小室哲哉でも筒美京平の質と量には遥かに及ばない。筒美は兎に角活動期間が異様に長い。1960年代から活躍し、近年も中川翔子竹達彩奈田所あずさなどアニメ・声優系の歌手達に楽曲を提供して当人たちやスタッフ、ファンを驚かせていた。享年80歳か。なんか思ってたより若かったな。あんまりにも名曲の量が多いからもっと歳上かと思ってたかも。

宇多田ヒカルはそういう巨人とは対極の作曲家だ。一曲入魂というか、なにしろ「手をつけた曲は必ず仕上げる」事をモットーにしていてこの20余年でボツ曲は僅か二曲(もしかしたら増えてるかもしんないけども)。物凄く手間隙かけてたった一曲を仕上げる作曲家だ。また、誰かに楽曲提供をするというのもほぼ皆無に等しい。ひたすら自分が歌う為の歌を精魂込めて作り上げる流儀。故に、「この曲も彼の作曲だったのか」と言われ続けた筒美京平とは対極的に、どの名曲もほぼ必ず「宇多田ヒカルの名曲」として記憶されている。この原則から外れるのは『ぼくはくま』くらいではなかろうか。

これはとても幸せな事だと思うが、有名になり過ぎた作り手は、自分が権威になって作品の評価に下駄を履かされるのを尽く嫌う。出来れば名前を伏せて聴いてもらってそれでもなお気に入って欲しいと願っている。ヒカルも恐らくそうは思っているだろうけれど、なにしろ自分の書いた曲を一番上手く歌えるのがいつも自分自身なので「作詞・作曲・歌唱」は常に三点セットで付き纏う。まぁ、それでいいんだろうな。何度も「ヒカルが覆面作曲家として偽名或いは別名で誰かに楽曲提供した時に果たして気づけるか?」という問いをこの日記で提起し続けてきたが、なんだろう、そういうのはもう他の人たちに任せてヒカルは徹底的にこの路線で突き進んでいいんじゃないかなと踏ん切りがついてきたかも。とか言ってると裏をかいてきたりするからホントにヒカルパイセンは油断ならないんだけどなっ!