無意識日記々

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常時必勝追求の嗜好性

楽家向きの性格の要素のひとつに「好き嫌いで行動する」というのがある。他人との比較で優ろうとか目立とうとするより、自分の感性で好きな物事に従事し嫌いな物事を忌避回避する。それを積み重ねて行くと作品が出来上がっていたりする。音楽家のみならずものを作る人全般に言える事だけども。

一方でその、他者を上回ろうという性格の人は例えば競技スポーツなどに向いている。ライバルに勝とうとか栄光を勝ち取り喝采を得ようとかいうのが行動のモチベーションになる。こういう人は自分の好き嫌いを抑え込んで苦しくて嫌な特訓などに耐えて鍛えて強くなり勝つ。

こういうアティテュードを音楽活動に持ち込むと、例えばあの人より速く弾けるとかあいつより売上が高いとか、人と較べて勝ち負けがわかる物差しで音楽に携わるようになる。ある程度までなら副次的なモチベーションとしてよく機能するが、度が過ぎるとただ技術をひけらかしてリスナーを置いてきぼりにしたり、売れ線を狙い過ぎて元々の自分の音楽性を見失ったりする。そうなるといけない。

ヒカルはそこらへんで全く崩れないのが稀有な所でね。

昔からレコーディング時のヒカルは「好き嫌いがハッキリしていて決断力がある」という評価を周りから受けていた。オーケストラにオファーして演奏を録音までしたのに全ボツにして沖田さんを涙目にしたエピソードなどが思い出される。徹底して自分の感性に拘る態度を貫くのな。

その上で「負けん気がメチャメチャ強い」のも両立するから凄いのよさ。この性格は物心ついた頃からだったようで、本人曰くゲームなどで負けたら泣いて悔しがり勝つまでやり続ける子だったらしい。あの優しい性格をしてなぜそうなれるのか未だに不思議だが、兎に角「勝つまでやる」んだそうな。

ここらへんの両立ぶりはどうやら「母親譲り」のようでね。藤圭子さんという人は、本人のインタビューや周りの人の叙述から読み取るに「自分から事を起こそうという情熱はないけれど、いざ何かを始めたら一切手を抜かない」という性格だったらしく。負けん気の強い人は「勝ちたい」「負けたくない」という気持ちが先にあってそこから努力を積み重ねていく感じだが、藤圭子という人は「何もかもどうでもいいしやる気もないし」というアンニュイでニヒルな立ち位置から何かに巻き込まれていく中で「やるならやったる」とモチベーションを発揮していったらしい。なので、生活の為に仕方なく歌い始めたとしてもその歌唱のクォリティにはこだわり続けて挙句に37週連続1位ですよ。凄すぎる。

で。ヒカルはここらへんの性格を受け継ぎつつもその虚無性をハッキリした好き嫌いでしっかり埋めている。「きゃーフレディ!」ちたいなやつね(笑)。藤圭子のスピリットをそのまま継承しつつそこから更に積極性を軸にしてビルドアップした感じで。なので、ヒカルは音楽家らしい嗜好性による行動決断選択とスポーツマンのような勝ち気な動力の両輪を持っていてもそれが相克自壊をしないのだ。なんというか、ハイブリッドなアーティストなんだな。だから、どれだけ売れようが自分を見失わなかったし、それだけでも凄いのだけど、更に、それまでと較べて売れなくなった時期でもまた自分を見失わなかった。これがどれだけとんでもないことなのか、なんだろう、それこそ体験した本人にしかわからないんじゃないの。成功が大きくなり過ぎて身を持ち崩した小室哲哉なんかを横目にこうやって今も健全な活動を続けてくれている。最新曲である『Time』と『誰にも言わない』を聴く限り、音楽家としての才能は枯渇からも滞留からも至極無縁だ。というか、ここにきて更に絶好調なのではあるまいか。

残念ながら、でも何でもないんだけど、最近は「数字で圧倒する」ということが少なくなったのでそういうのを基準にする人たちの関心を引くには至っていない。そうだとしてもそこでふためかずに落ち着いて音楽活動を続けてくれるという深い信頼がここにある。あぁ、我ながらいい選択をしてるぜ。この音楽家は(俺が言うのはホントに今更過ぎるけど)一生追い掛けるのに全きうってつけの存在なのだわね。