無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

熊害とくま益の光と影

日本各地での熊害事件の報を耳にする度にヒカルが胸を痛めてるだろうなと想像する。日本のニュースをどこまでチェックしているかはわからないが。

ライオンも虎もワニも野生では生息しない日本で人間にとって最も危険な動物は熊になる、だろう。そこまで生息数が多い訳ではないが、人間の生息域のすぐ隣に居るということで例えば鮫のようなケースとは訳が違う。地域によっては普通に暮らしているだけでも遭遇する。

ヒカルも指摘していたように、後ろ足で立てるというのが何より怖い。実害というより、人間て案外哺乳動物の中では大きい方なので、上から見下ろされるってのがなかなかないのよね。だから熊は畏怖の対象として扱われてきた。

一方でぬいぐるみのくまちゃんは安らぎを与えてくれる存在で。0歳児ですらそれを胸に抱いて眠る。ヒカルのファーストくま写真とかもあったねぇ。こちらは或いは守り神のような存在だろうか。

実際、『Single Collection Vol.2』や『WILD LIFE 2010』のときはぼんじゅーるくまちゃんがお守りとして登場していた。やっぱり神様みたいな存在なのだろう。最も、日本流に、八百万の神のひとつというか、崇拝というよりは身近に潜んでる方だろうけど。

『Time』のMVでもみられるように、相変わらずヒカルはくまちゃんLOVEである。それが現実の世界の熊に対する関心まで引き起こすとまでは当初思っていなかったのだが、そもそもの熊が畏怖対象として神々しさを放っているからそのぬいぐるみが神性を帯びられている訳で、それはヒカルの中で、かなり早い段階から繋がっていたのかもしれない。つまり、人を襲う程に強い存在を前提にしてくまちゃんの安らぎは生まれたのだ。最初の最初にプレゼントされた時は「わぁかわいい」と思っただけかもしれないが、現実の熊がいなければくまちゃんは「得体の知れない謎のクリーチャー」になっていたかもしれない訳で、その愛らしさは熊の存在なしには有り得なかった。

思い出してみると。『ぼくはくま』の絵本でもぬいぐるみ風のくまちゃんと写実風の熊の親子が対比して描かれていた。現実の熊は有性生殖なので親から生まれるが、ぬいぐるみのくまちゃんに親は居ない。その哀しみは、くまちゃんから現実を生き抜くからこそ起こる熊害の暴力性をこちらの都合で拭い去った代償のようにも思える。現実の熊を見据える事でヒカルはますますくまちゃんを愛おしく思うようになった事だろう。故に現実の熊害はヒカルにとって全く他人事では無いはずなのだ。被害に合われた方々に心からお見舞いを申し上げたいと思います。