無意識日記々

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改めてR&Bシンガーと

ヒカルの音楽的原風景といえばまず藤圭子の歌う後ろ姿なのだろうとまず想像してしまうが、これがなかなかそういう風に素直に捉えていいものかどうか悩ましくてね。藤圭子の80年代後半以降の活動ってどんなだったのかイマイチよくわかんないんだよ私。寧ろそれこそ70年代からの「8時だョ!全員集合」とかの方がお馴染みだった訳で……えぇっと、当時はお笑い番組にアイドルが出て歌を歌うコーナーがあったのだ。全員集合の場合はセットチェンジの時間稼ぎも兼ねててね。兎も角、演歌歌手とはいえ若くて綺麗な女の子だったから藤圭子はそういう番組にも出ていた、と。

話が逸れた。つまり、ヒカルが藤圭子のステージを観られた回数ってどれくらいだったんだろうかなと。まぁ、インパクトは回数じゃないけどね。一度でも観たら魂に焼き付くでしょう。

で、その藤圭子の方針もあってか、ヒカルは演歌を歌う道を選ばなかった。ニューヨークで過ごした時間が長かったというのも大きかっただろう。

一方で日本にいたと思しき5歳くらいの頃にTMネットワークの「Get Wild」や「日本昔ばなし」などに出会っている。ベルばらもこの頃なのだろうかね。ここらへんもお気に入りだったわけだ。

父照實さんからの影響という面ではもう単純に彼のレコードコレクションなのだろう。ヒカルがR&Bにハマる前にボン・ジョヴィメタリカなどのロックを聴いていたというのは、照實さんが世代的にザ・ビートルズ以降のロックを一通りレコードラックに取り揃えていたからそこからの流れだったのではないかと推測する。1970年に米国内の大学でエマーソン・レイク・アンド・パーマー観てるんだってよ。羨ましい……。

そんな背景がありつつ、90年代前半のローティーンの頃にR&Bと出会って宇多田ヒカルの歌唱スタイルの基礎が確立される訳だが、そこで留まらなかったのが正解といえば正解だった、のかな。あの頃の歌い方のままだときっと今頃オールドスクール扱い(若い世代にはこの言い方すら通じないような気がするけども)だったかもしれない。当のR&B自体がこの30年で変化を繰り返してきたからね。

で。その変化するR&Bの最先端のひとつなのだろうロンドンに居るヒカルが今の若手から歌唱の面で影響を受けるような事はあるのだろうか?という疑問がふと浮かび。端的に言えば、次のアルバムでも、『Too Proud』のJevonのように自分より下の世代のシンガーをまた起用するんじゃないか、ってこと。で、それはラッパーじゃなくて、小袋成彬とやってきたようなデュエットになるんじゃないかなーという予想を立てつつある。が、性別がちょっとわからん。今更歌手の性別を気にする時代でもないのかもしれないが。

何だろう、R&B以外のジャンルをしこたま通過してきた素養の豊かな若い歌手、誰か居ないかなというアンテナも張りながらちょっと暮らしていこうかななんて思っちょる所でありますよっと。