無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

出るじょ居るじょと空騒ぎ

で本日5日付でロンドンが再封鎖ということで。ヒカルパイセンも今頃買い出しで疲れて眠っている頃だろうか。

時差といえばサマータイムが廃止に向かっているらしく。まぁ全世界的には徐々にだろうけどいい傾向なんじゃないか。インターネットで地球が繋がったんだからもう標準時だけでもいいくらいだけどねぇ。日付の概念が面倒だからあたしが生きてる間は時差があるままかな。

ロックダウンというとすぐさまインスタライブだと色めきたつのはもうパブロフの犬状態なので今日はそこはスルーするとして。

UTADAでは人種や国籍について歌うのに何ら躊躇いがないどころかそれこそが強みだと言わんばかりなのだけど、こと宇多田ヒカル名義となるとそういった歌詞は殆どきかれない。Pop Musicを作るにあたって市場にアジャストした結果……というか、ヒカル自身もリスナーとして、日本語でそういう歌を耳にしたら居心地がよくないと感じるのではないかな。

実際、日本と米国では差別の在り方が違い過ぎる。米国では肌の色など見た目が違い住む場所も別々だったりするが、日本の国籍差別は見た目ではかなりわからないし住む場所も同じだという真逆の事情を反映して疑心暗鬼が基底となっている。何しろ見た目が同じで同じ言葉を喋り近くに住んで同じ教育を受けているまであったらそもそも差別の必要(なんだその謎ワード…)すらないのだが、この、ありもしないものがあるのではないかと疑う精神に支えられているので、これ周りから修正のしようがないのよね。妄執そのもの。

これが流行歌と非常に相性が悪いのだろう。メッセージを送る事自体が塩を送る行為になる。誰の目にも映る実態について皆でなんとかしようと力づけるのではなく、そもそもないもの妄信して疑っている人に歌も何も無い。触れるだけで応援になる。これはなかなかにおぞましい。

ヒカルが『日本で生まれ育った日本人からすると人種差別っていまいちピンと来ないかもしれないけど』と発言した背景にはそのような事情がある。無いものをあるかのように盲信して生まれる差別など、気にしない人にとっては全く見えない。なんの実態もないんだもの。差別をする人の発言だけが頼りになるのだからそれはもうどうしようもない。ひたすら人自体を守るしかない。勿論、差別を受ける方にとっては逃れられない過酷な現実なのだが、妄信と妄執相手にどう戦うかというとこれが難しい。歌に乗せて訴えるとかそういうのと本当に相性がよくないのだ。仕舞いには「それはあなたの被害妄想ですよ」とまで言われる。何しろする側の発端が妄想なのだから本当に困る。

脳が老化すると妄信と妄執が強くなるので、これから社会ごと更に老化していくこの国では事態はもっと悪化するだろう。つくづく、ヒカルがロンドンに移住できてよかったと思……いたいところだが、英国は英国で人種差別や階級差別が強い土地柄なんだったな。やれやれ。なんとか逞しく生きて欲しいぜダヌパくん。