『誓い』の歌詞についてずっと考えている。
この歌、歌詞を耳で聴くだけでなく目で読む事でも違う展望が拓けてくる。ただ聴いてるだけの時点では気になっていなかった事が目で見る事で浮かび上がる。
「日」という字が何度か出てくるのだ。
『今日という日は』
『永遠の誓い日和だよ』
『眠りたい 毎日』
『朝日色の指輪』
『日の昇る音』
こういう風に。dayの意味もthe sunの意味もあるし、「ひ」とも「にち」とも読む。どこかなぜか、こだわって配された気がしてならない。
特に、最後。『日の昇る音を肩並べて聞こうよ』だ。音。その前は『朝日色の指輪』で、色。耳で聞くはずのものと目で見るはずのものが、何やら混ざっている。『誓い』という抽象概念を、どうにか五感で捉えられる何かと結びつけようという試みが、様々な情景を呼び起こしている。『共に生きる事を誓おう』とするときにすることが『日の昇る音を肩並べて聞』くことなのだ、というのは、わかったようで、でもやっぱりわからない。
宇多田ヒカルの歌詞で太陽が出てくる時は決まってお母さんなのだが、この歌の場合、そこから離れようとしているようにも思える。日々の中で、太陽の回る意味が変わってきているのかもしれない。『日和』という言葉のチョイスも、『待てば海路の日和あり』ということで『海路』での『今日という一日』を思い出させる。何か、曰くありげ。
まだまだ考えなきゃいけない。ひょっとしたらこの歌の歌詞、物凄く違う解釈が出来るのかも。なんだか、それが楽しみな日でした。