無意識日記々

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親の身のおやすみ

そういえばジャケットがシンジとレイなのよね。裏返したらアスカやカヲルになってたりしないのかな。

この映画のこどもたちは最初14歳という設定で。新劇場版は2007年9月に始まって2021年1月に完結を迎える。13年とちょっと。彼らの年齢を考えると、もう序の頃に生まれた子たちが“エヴァのヴォリューム・ゾーン”になるのよねぇ。長い月日だ。旧劇版から数えると26年。四半世紀以上となる。その頃シンジの方に感情移入してた視聴者たちは今やゲンドウの方に感情移入して観る事になる。もっとも、Qで時間経過のネタはやってしまったからシンエヴァがどうなっているかはよくわからない。

ヒカルの方も、“Beautiful World”以降ほんのりテーマとなっていた「母性」を、今や自ら体現している身だ。同じ視点ではいられず、であるならシンジやカオルよりゲンドウや碇ユイの目線でこどもたちを眺めているかもしれない。新劇場版にユイが出てくるかは不明だけれど。

とすると。『One Last Kiss』は誰から見て『One』で『Last』な『Kiss』なのか、そして誰へ向けての『Kiss』なのかと。これが母から子への『Kiss』だとしたら、切ないねぇ…。

日常に目を向ければ「おやすみのキス」は恐らく欧米では普通に行われていて(っていう言い回し何とも昭和っぽい)、ヒカルも我が子にそうしてるかもしれない。このキス、“Goodnight Kiss”はきっと「今日はありがとう。また明日ね。愛してるわ。」ってことなんだろうから『One Last Kiss』とは随分違うように思える。

しかし、宇多田ヒカルさんという人は『Good Night』、「おやすみ」というタイトルの曲を作っておきながらその曲中ではなかなか“Good Night”と言い出さずずっと『Goodbye』と別れの挨拶を連呼していた人なのだ。最後に絞り出すように漸く一言『Good Night』と付け加える。ヒカルにとっておやすみの一言は、そのまま別れの挨拶にもなるのかもしれない。

そもそも『Beautiful World』の歌詞においても『君の側で眠らせて』の一節があるくらい、眠りはヒカルにとって重要なファクターだ。『One Last Kiss』にも眠りの要素はあるのか、「おやすみ」の一言が今生の別れになるような展開があるのか。今のうちにちょっと考えてしまうのでありました。

そろそろ今日あたり「情報多すぎ」とか言いながらヒカルが呟いてくれるのが恒例なのだが今年は果たしてどうでしょう。