無意識日記々

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系譜と背中を追う中で

「庶民の文化」……と書くとなんか少し違う気がするが、この半世紀、さほど鍛え上げられていない、職業として鍛えられていない層からのつきあげと言いますかね、そうカテゴライズできるほど境界線がはっきりしてるわけじゃないというか、アマチュアとプロの垣根が低くなってるのはそこまでの人間の音楽史からすると稀な事態だったりするのかなと。

日本でも多分おそらくグループ・サウンズとかフォークミュージックとかが出てくるまでは音楽の供給ってちゃんと音楽学校出たような人達が占めてたんじゃないかと想像するのだ。音楽学校じゃなくても、留学できるような高等教育を受けたような人々。そうじゃない庶民の中から、楽器を買ってバンドを組んでみたいな流れが出来てきたのが多分ここ半世紀くらいの話で。

ヒカルさんちはそのどちらでもない、かな。旅芸人というか、カタカナでいえばジプシーな系譜というか。それがラジオやテレビやレコードの普及で「大ヒット」という枠組みに入ってしまったのが藤圭子で。作詞作曲は相変わらずwell-edicatedな人たちだったけれども。

ヒカル本人は意識しなくても、そういう系譜の流れからくる職業音楽に対する捉え方というのは幾らかは受け継がれてるのではないかなと。それはヒカルがミュージシャンをどちらかというと社会のはぐれ者みたいな捉え方をしていることからも伝わってくる。つまり、大正昭和の頃の歌謡曲のようなレコード会社の力が大きかった大衆音楽の流れとも、グループ・サウンズやフォークミュージックやバンドブームなどの庶民が(主にビートルズに触発されて以降)自発的に音楽を創造してインディーズとメジャーの垣根を低くしてきた流れとも全く違う所で家業を継いでいたというね。誤って(?)藤圭子がそういった商業的大衆音楽の流れの中に取り込まれたのがそもそもの間違いというか齟齬の始まりだった訳で。うちらにとっては僥倖だったとしても。

そこが微妙で奇妙でねぇ。音楽に携わる感覚としては社会の鼻つまみ者で、一方でステージに上がる母の姿はキラキラと眩しくて、という。二重のコンプレックスがヒカルの根底にあるように思えたりもする。ある意味で卑屈すぎる程の謙遜とか自信に対する態度とか。宇多田ヒカルという存在は大衆からみたらスーパースターの中でも更に別格みたいなそんな立ち位置なんだが、慣れてる私らにはもっと親しみ易いというのも、その才能とは別の所で組み込まれたコンプレックスが作用していたりもしたのかなと。

勿論、なんだかんだ言って本人の性格がいちばんなんだけどね。小さい頃の写真をみるとまず「あぁこの子は優しい子だ」という解釈以外浮かばなくなるほどそういう子だったようにみえる。ヒカルみたいに写真を見ただけでその人の性格がわかるとは言わないけれど、どうしてもそのように見えてしまう。それが環境によるものなのか生まれついてのものなのかは結構わからないけれど、ヒカルはヒカルのプロデューサーなので、少なくともうちらに見せてくれる顔はきっと、これからも何も変わらないだろう。ダヌくんが家業を継ぐかどうかは全く彼の自由だが、継ぐ気になった時に職業音楽家が社会でどんな位置に在ると認識しているかは、ちぃとばかし訊いてみたいもんだわね。