無意識日記々

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フル解禁直前随想

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」、このあと3月4日夜24時(3月5日0時)から各映画館サイトにて初日3月8日分の予約が始まるとのこと。なんともまぁ、未知の領域に足を踏み入れる感じになってきた。もう後戻りは出来ないというか。

『One Last Kiss』も間も無くフルコーラス解禁となる。こんなに長くサンプル音源─即ち今回の場合は本予告動画90秒やTVスポット15秒だが─に親しんで新曲発表を迎えた事があっただろうか。そこのところはよくわからないけど、今の心境としては、長かったなと。

いつもそうなのだが、フルコーラスを聴くと、全く同じ音でも、サンプル音源で聴いていたパートの印象や評価が少し変わる。それは、それまで気がついていなかった構成上の意図などに気付かされるせいであったりして、やはり音楽を聴く時には記憶と文脈は顔を出すのだなぁと嘆息せざるを得ない。

そういえば『Beautiful World』もそうだった。最初にフルコーラスを聴いた時に呟いたのが「お母さんみたいな曲だなぁ」だった。「それだけサウンドに優しさと包容を感じたという事」と補足しているが、裏を返せばサンプル音源だけではこの曲に宿る母性に気が付かなかったということだ。そういうこともある。

そういう感覚的な話だけでなく、具体的な観点でも……そうだな、サンプル音源とは少しケースが違うが『Flavor Of Life』の時の話は参考になるかもしれない。最初『Flavor Of Life - Ballad Version -』だけを聴いた時「なぜBメロがこんなのなんだろう?」とヒカルの意図がわからなかった。しかし、オリジナル・ヴァージョンを聴いてみたら『Don't Be Aftaid〜♪』というバックコーラスが入っていた。嗚呼それを抜いたからバラードの方はあんな感じになったのだなと合点がいった。

で、だ。肝心なのは、そのプロセスを経てバラード・バージョンを聴き直してみると、その印象と評価がかなり変わったという点だ。それまでは喉に小骨が刺さってるような違和感を抱いたまま聴いていたのがスッキリ聴けるようになって、それ以前にも増してバラード・バージョンへの愛着が増したのだ。やはり、作曲者の意図が伝わるというのは重要なのである。

今回はサンプル音源に馴染みすぎてしまった為にフルコーラスを聴いた時に逆に違和感があるかもしれない。それは行き過ぎにしても、兎に角、フルコーラスを聴いてしまったら、もうたった今我々が抱いている『One Last Kiss』のイメージは、入れ替わって無くなってしまうかもしれないのだ。なので、今のうちに自分の想像や印象や評価を記憶&記録しておく方がいいかもしれない。私はこうやってずっと日記を書いているお陰でそれを後から参照できている。鳴っている音は全く同じでも、異なる文脈に置かれた音は異なる音楽になるのだ。それを心しながら、来るべき日を待ちたい。うーん、なんとか月曜日は休めねぇかなぁ……。