無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

言語化権化

※今回も映画の内容に…ってそろそろもういいかなぁ? この注記書かなくても。

前も触れた通り、シンエヴァが今までのエヴァと異なる点は「ちゃんと言う」事を徹底した所だ。シンジが「どうしてみんなそんなに優しいんだ」と叫んだ瞬間「それ、言うんだ」と思ったし、この映画はきっとこの後も「ちゃんと言う」映画になるんだと思った。

特にそれが炸裂するのがシンジと対峙した碇ゲンドウの独白で、言ってる内容は前世紀のエヴァンゲリオンの終局とそんなに変わらないのだが、言い方が実直で率直でわかりやすく、「そうだったのか」と腑に落ち易かった。謎が謎を呼ぶ作風で話題を攫ったエヴァがわかりやすい答えを口に出して、言葉にして、そのまま言う。お陰で四半世紀続いたこのシリーズが「嗚呼、終わるんだな」と飲み込めたのだった。

昨年、「兎に角全部言葉にして説明してくれる」親切心の塊な長男・竈門炭治郎を主役とする「鬼滅の刃」が超絶特大ヒットしたのは記憶に新しい。今そういう潮流が来ているのかね。

実は最近のヒカルにもそういう傾向が見て取れる。『誰にも言わない』で「まわり道には色気が無いじゃん」と言い切っていたのは印象的だった。そして実際にすぐにそれを実践していた。昔のヒカルなら歌詞は『Boy you know what I need』までだったかもしれない。「私に要るのは何なのか…わかるでしょ?」と。「言うまでもないよね」「言うのはもう野暮だよね」と。ところが『誰にも言わない』ではそのすぐ後に『I just want your body』と言う。言ってしまう。歌ってしまう。「ただ貴方の身体が欲しいの」と。直接的、ストレートな物言いにも程があるというか。英語で歌ったのが譲歩だったのかもしれないけれど。

とても昔……、ヒカル本人が言っていたんだっけか? 「『First Love』では絶対に“First Love〜♪”とかって歌わないから!」という話があった。たとえアドリブを入れたとしてもこの歌ではタイトルを歌う事は無いと。その美学はよくわかるが、今の時代だと、或いは、今のヒカルだとそういう作法で作詞するかどうか。

実際、『First Love』って余りにも有名過ぎる為なかなかそう捉えられないけれど、もし仮にこの曲のタイトルを知らずに聴いたとしたら、歌の歌詞だけでタイトルを当てるのは不可能なように思われる。何しろ歌い出しが『最後のキスはタバコのFlavorがした』だ。初恋の甘酸っぱさの欠けらも無いからな。だからこそ歌詞に『First Love』は入っていない。

そして現代。『初めてのルーブルはなんてことはなかったわ』から始まる『One Last Kiss』は、言いたい事を全部そのまま言えるだけ言う歌である。『Can you give me one last kiss?』と欲しいものをそのまま要求する。『燃えるようなキスをしよう』だもんね。あらここのキスはカタカナだったか。英語っぽい発音なのに。余談。

勿論、今後またヒカルが「…皆まで言わなくてもわかるよね?」風味な作詞をしないとは言わない。しかし、今のエンターテインメントのトレンドと今のヒカルの作詞の傾向が良い具合にシンクロしている感触はある。感じたことや欲しいものを、そのまま言葉にする。そういえば最近、「言語化」って言葉を頻繁に聞くような気がするし。元々言語化の権化としてこの日記を書き続けてきた身としては、いい傾向だな歓迎したいなという気持ちです。「そういうことなのね? ならそう言おうぜ。」という私の口癖が報われる時期なのだとしたら、今のうちに存分に満喫しておきたいな。時々その口癖忘れちゃうんだけどね。