無意識日記々

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part 4 of "Da Capo ≒ Rebuild"

2分39分を過ぎてベースが入ってきて漸く楽曲は熱を帯び始める。「始まったな」「ああ、全てはここからだ。」てなもんだ。

TwitterでDa Capo検索をしてみたところ、ここで入ってくるベースラインの評判が頗る良い。突出して取り上げられてると言っていい。この楽曲で一番人気な節すらある。

その事実にあたしはかなり戸惑った。というのも、ここのベースってほぼオリジナルのまんまなのよね。何故今更そんなに取り上げられてるのだ、と。

そう、うっかりしていたのだホント。あたしが生来のベース好きだからいつもいつも意識して傾聴してた為にこのラインにまるっきり親しんでいた訳で、そうね、大多数のリスナーの皆さんはベースラインなんて頭に入っていない…というかハナから意識してないのよな。そりゃそうだわ。特にオリジナルではほぼ同じ動きで他の楽器も賑々しく鳴らされているから全編くっきり音の輪郭が把握出来る感じでもないしな。

ただ、それはそれで、『Da Capo』の編曲者の意図が伝わっていないという事も意味するかもしれない。というのも、私が今書いてるこのシリーズのタイトルが「"Da Capo ≒ Rebuild"」であることからもわかる通り、『Beautiful World (Da Capo Version)』というのはオリジナルの『Beautiful World』を、一旦解体して異物と接触させその上で再構築するというコンセプトで作られている(と私は見ている)からだ。

で、そのコンセプトに沿って眺めた時に、この2分39秒の場面というのは、それまでリズムが全く無い無調風のサウンドの中で切り貼りされたようなコーラスワーク(虚空に響く『Beautiful World』と『Beautiful Boy』のフレーズ)が現れては消え現れては消えしていたのが漸くオリジナルの空気と雰囲気を纏い始めるシーン即ち異世界から実世界に帰ってくる場面であると解釈され得るのだ。つまり、リスナーに「あぁ、慣れ親しんだサウンドに戻ってきたな」と思わせるのが意図の筈。

ところが、検索した印象だとベースライン自体がカッコイイという風な感想が目立った。勿論ひとりひとり少しずつ感慨は違うのだろうが、既に『Beautiful World』を知っている人に感じ取って貰いたかったのはそこのところの、「戻ってきた安心感」を感じるのがポイントなのであって、実際、ここから次々にオリジナルで慣れ親しんだフレーズが現れてどんどん分厚くなっていくのが聴き所なのですよ。

勿論、リスナーの受け取り方は千差万別であるからこそ面白い。カマシ・ワシントンが言うようにこういう時こそ「違いを寿ごう」と唱えたい。オリジナルを知らずに聴く人だって沢山いる訳で、その人達が同じ感想を持つ訳がないのだし、今言ったように13年半前の曲のベースラインをいちいち覚えていろというのも無理な話だ。自分はそこが異常だというのをすっかり忘れてしまっていたけれども。なので、これはこれでひとつの見方聴き方に過ぎないのです。

ただ、これはひとつ作り手側にとって参考になる事象でもあるだろう。つまり、仮にカッコイイベースラインをフィーチャーしていたとしても、それが他のサウンドに埋まっていたら耳に入らないケースが大半だということだ。今回の『Da Capo』では2分39秒からほぼベースの独奏として奏でられるのでイヤでも耳に入ってきたからこれだけの好評を得られた。いやまぁ、気付かれないところでクールなリックを潜ませるのがベースの美学という考え方もあるのだけれど、せっかく生み出したのだから明示的に気に入って貰えるならそう言って貰えた方がいいんでないかな。今回こうやって骨組みだけになったサウンドを提示した事でオリジナルの『Beautiful World』のベースラインのカッコ良さが日の目を見ることになった訳で、そこは心に留めおいておいた方がいい。とはいえ、なんだかんだでこのベースラインの好評は、美談〜Beautiful Storyになったと言えるんではないでしょうか。