無意識日記々

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Rebuild of "Da Capo ≒ Rebuild"

さて駆け足で『Beautiful World ( Da Capo Version) 』の構成をみてみてきた。5回使っといて駆け足もないもんだがこれでも結構端折ってるのだよこれでも。

でそれを更にざっと振り返ってみますと。要するにこれは

「『Beautiful World』という楽曲をパーツに分解して再構築(Rebuild)したバージョン」

なのだ。ダ・カーポとは英語でいえば「from head」、「頭から」「冒頭から」「はじめから」ということで、美世界をはじめから再構築してみたという意味に解釈できる、と。

その再構築作業にあたって小袋成彬が自分の個性との邂逅から出発したところがひとつの見所である。これがなかなか一筋縄ではいかないことは、最初のサビの前半をオリジナルにはない二回繰り返しにしていることからもわかる。ここでは、「こっちから攻めてみたけど…うーん、走り出さないな。じゃあこんな風なアプローチはどうだ?」という試行錯誤のプロセスが表現されているようにみえる。二回目で手応えを得てそこから漸くベースが入りドラムが入りピアノが入り…と一つ一つの要素を順番に導入していくことで『Beautiful World』のオリジナルのサウンドに帰着させていった。

で。前回ここで踏み込み過ぎなかった事を指して「音楽的なセンスがいい」と述べたのは、つまりそこから更にアクセルを踏んで完全にオリジナルの雰囲気になってしまうと、冒頭で持ち出した小袋成彬サウンドの導入に意味が無くなってしまうからである。そこにあった張り詰めた緊張感と気怠い虚無感の同居こそが彼の個性であるのに、それが雲散霧消してしもうてはこのプロセスの甲斐がない。故に最後、もうちょっとのところでサウンドは退潮してバラード・モードになる。このアレンジによってDa CapoのDa Capoたる存在感は確保されたのだ。

そうやってアーティストとしての、プロデューサーとしての個性を優先させた態度に出た為に映画館で初めて聴いた筆者に難色を示さしめたのたが、故に映画から離れて聴いた場合はオリジナルに対するオルタナティブとして非常にセンスよく機能してくれてて楽しめている。オリジナルのベースラインの格好良さを多くの人に知らしめたのも功績だろう。そして、(恐らく)2020年のヒカルによる『Beautiful World』の新録歌唱が聴けたのが、何よりのデッカいデッカい収穫なのだ。次回からは『Beautiful World (Da Capo)』のそのヒカルの歌唱についてみていくことに致しますかね。…いや、今はラスキスもピンブラも次々と新情報がやってくる段階なので、どうなるかはわかりませんねんけどね。