無意識日記々

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『With Myself』

@utadahikaru:In the past, my songs often focused on my relationships with other people. My new album is shaping up to be more about my relationship with myself. #FromHikaruPaisen posted at 18:06:01

昨日のこのツイートで目を引くのか『shaping up to be』だ。“shape up”は「シェイプアップ」とカタカナで書くとわかりやすいかと思うが、「形になる」という意味だ。英英辞典を引くと“develop”(発展する)や“improve”(改善する)といった単語が並ぶ。ヒカルのツイートの文脈を慮ると「アルバムの制作が進んでいくにつれ全体像が形作られ始めた」てなイメージを私はもったのだが、ここをどう解釈するかで見解が別れるだろうな。

前回述べたように、斯様にアルバムの全体像が見えてきているとすれば、アルバム作りは後半に突入している感じかもしれない。年内のリリースに期待してもいい感じだね。

で、そのシェイプアップしていく先が『to be more about my relationship with myself』な訳だが、Google先生による邦訳「私との関係」というのはコロンブスの卵的な訳し方で結構気に入っている。そうか、その手があったかと。

ここの部分は前段の『my songs often focused on my relationships with other people』と対になっている。「私の曲は他の人との関係に焦点を当てている」と訳された部分だね。

並べてみよう。

『my relationships with other people』

『my relationship with myself』

この2つの対比がポイントなのだ。

上の「他の人たちとの関係」というのはわかりやすい。何の他意もない。だが下の「私自身との関係」というのは日常生活で滅多に使わない表現ではないだろうか。そして、ニューアルバムはここにシェイプアップしていっているというのだ。

そもそも最初の12年間のヒカルはひたすら「自分自身をどこまで表現するか」という自問自答を繰り返してきていた。勿論、セカンドアルバムのタイトルが『Distance』であった事からもわかる通り他者との距離感、関係性も主題になっていたが、そこに関わる自分自身が、宇多田ヒカルがどれだけそこに現れるか、表せるかが焦点だった。煮詰まった時に『あんたに何がわかるんだい』と叫んだのも、「あんたに“私の”何がわかるんだ?」という意味であったように思う。

2016年以降のヒカルは(2010年の時点でその萌芽はあったが)、自分自身より尊い『あなた』に向けて歌う歌が主体となった。有り体にいえば母と子だ。『Fantome』でこれでもかと亡き母への想いを綴り『あなた』で子への愛情を炸裂させた。そういった近しい他者との関係性の中で新しい歌が生まれてきていた。

そこからの『my relationship with myself』というのは、つまり、自分自身を『other people』と同じ位置においてもう一度眺めてみるという事になる。ここが理解できるかどうかが分かれ目だ。“relationship”、関係というと、異なる者同士の間に生まれるものだという感覚がまずある。「私と私」では同じものなのだから関係も何も無い。数の「5」と「5」の間の関係性は「5=5」の1点のみで、そしてこれは同じものは同じというただのトートロジーだ。何のクリエイティブもない。一見異なるもの同士に同じ要素をみつけたり、同じに見えるものが実は違っていたりという事がなければそれを歌う理由が生まれない。果たして、『my relationship with myself』というのは何なのか、引き続き考えていきますよっと。