無意識日記々

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とわをうたうくま

三浦建太郎が亡くなっていたそうな。うわぁ。長編漫画「ベルセルク」の作者さん。私は「ベルセルク」のアニメも観てないし漫画も読んではいないのだけど、「作者が死ぬまでに終えられないかもしれない」作品の代表格として常に名前が出ているのをみていて、他の漫画は読まなくなったけど「ベルセルク」だけは読んでいるという人も居たから、いつ終わるのか、果たして作者は描き切る事が出来るのかとそんな懸念が雲のように辺りを覆っていたのをずっと見てきていた。このまま未完になるのかな。

漫画ではなく小説だが、中島梓の「グイン・サーガ」は130巻まで刊行された時点で作者が逝去しそこで一旦絶筆・未完となった。がその後複数の作者によって正史の続編が紡がれ続けている、らしい。こちらも読んでいないから詳しい事はわからないのだが、そういうケースもあるのだと知っておいて損はないだろう。

勿論私は尾田栄一郎の事を心配している。多くを語る必要はないだろう。彼には適度に休みながら働いて欲しい。

あと、萩原一至は諦めているなぁ…メタラーとしては完結させて欲しいけどね。

ヒカルが気になっているとすれば「HUNTER×HUNTER」だろうかな。冨樫義博は長期休載の常連なのだが、でも本来創作家ってそんな感じじゃないのかね。殆ど毎週19ページ仕上げながら100巻目前の尾田が異常なだけで。

ストーリーものはどうしても作者が生きてるうちに、となるけれど、小説や漫画やアニメでは「キャラクター」が作者の死後も生き続ける。ディズニー兄弟が居なくなってもミッキーマウスは世界中で健在だ。日本でも藤子・F・不二雄が居なくなったあともドラえもんは毎週元気だ。なんだか、凄いことだねぇ。

くまちゃんはどうなるんだろう?とふと考えてしまってね。それでこんなことを書いている。自分はヒカルより歳上だからその行く末を見届ける事は出来ない可能性が高いし、だから諦めているという意味でそんなにシリアスに考えてはいないのだけど、2006年の絵本付きCD『ぼくはくま』がリリースされて以降様々なグッズにくまちゃんが登場してくれていて、シンガーソングライターなのに自分自身を象らない「キャラクター」というものが認知されて皆に愛されてきた。宇多田ヒカルという人は不世出且つ一世一代であって、歌舞伎や落語のように名前や演目を代々継いでいく存在ではないと思ってはいるんだが、くまちゃんに関してはなんだか別な気がする。

…1回その「くまちゃん」の歌う曲をリリースしてみてもいいかもなぁ。ヒカルが演じてもいいし、VOCALOIDを使ってもいい。物凄くイロモノな企画に思われるかもしれないが、すんごく長い目で物事をみた時に後々凄く効いてくる気がする。昔劇中の役になり切って歌をリリースした人もいたな。それをいうならジギースターダストのデヴィッド・ボウイか。それはそれとして。くまちゃん、ぬいぐるみではあるのだけれど、永久(とわ)に繋がれ継がれるとしたら彼しか居ないよな。「うたうくま」として、物凄い未来にも生き継がれていたらなんて、益体のない事を考えてしまった。改めて、三浦建太郎氏に謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。お疲れ様でした。54歳か…若ぇなぁ…。